よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「その良苔和尚とお頭はどのようなお付き合いで……?」
「そこまでは知らぬが、お泊めになっておられるところをみると親しいご友人なのだろう。そんなお方の従者を取り調べるわけにはいかぬ」
「ではございましょうが、もしも大尊が濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)であったなら、それこそわれらの大失態……」
 八幡与力は立ち上がると、
「皐月、おまえに申しておく。なにもするな。一切、なにも、だ。よいな。娘が可愛(かわい)いならば、動くな。目をつむり、耳を閉じ、じっとしておれ」
「八幡さまはどこまでご存知なのですか」
「まことにわしはなにも知らぬぞ。知りたくもない。なにも耳に入らぬようにしておるのだ。ただ……花井戸(はないど)さまがなにかをしようとしていることはわかる。今はひたすら、そのなにかが少しでも早う過ぎてくれるのを待っているのだ」
「見損ないました。あなたは……そんなおひとだったのですか。うえに立つものが間違(まちご)うたことをしているなら、それを身体(からだ)を挺(てい)して止めるのがわれらの役目ではございませぬか。われらは町奉行の下僕ではなく、大坂の町のものたちに仕えているのだ、とかつてのお頭に教わりました。あなたも同じ考えだと思うていたのですが……」
「皐月……なんだ、その目は! わしをにらむな」
 皐月親兵衛はしばらく八幡をにらみつけていたが、
「ご免!」
吐き捨てるようにそう言って一礼すると、来たときよりも荒々しい足音を立てて部屋を出た。
「よいか、皐月! なにもするな。これはわしからの忠言だ。よいな、忘れるな、わしはたしかに言うたのだぞ!」
 八幡与力の声が空っ風のように背中を撫(な)でた。

「もういい加減に吐いたらどうだ」
 薄暗く、じめじめした牢屋敷のなかで吟味役同心碓氷徳太夫(うすいとくだゆう)が言った。彼のまえには大尊和尚が座禅の姿勢で座っていた。
「吐いたら楽になるぞ。自堕落な暮らしをしていた貴様のようなやつにはここは辛(つら)かろう。この湿気でたいがいのものは病を得て、死んでしまうのだ」
「ははははは……心配してくれずともよい。贅沢三昧(ぜいたくざんまい)をしてきた大寺の和尚ならともかく、わしのように貧乏な禅坊主はな、こういう暮らしには慣れておる。燃えてしもうたが、わしの寺のほうがここよりナメクジの数は多かったぞ」
「生意気な口を叩(たた)くな。吐かねば今日から牢問いをすることになっておる。牢問い……わかっておろうな」
「ああ、責め折檻(せっかん)のことであろう。かまわぬゆえやってくれ」
「やってくれ……と申すが、かなりきついぞ。貴様のような年寄りにはとても耐えられるものではない」
「じゃが、やっていないことをやった、というほうがわしには耐えられぬ。あんた方に責め殺されたほうがましじゃ」
「うーむ……」
 碓氷は唸(うな)った。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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