よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka


 雀丸(すずめまる)は、地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)の店を訪れた。帳場には番頭の姿がなく、丁稚(でっち)たちが脇目もふらず熱心に働いていた。だれも雀丸に気づかないのか、気づいているが知らんぷりをしているのか、まったく声をかけてくれないのでしかたなく、
「蟇五郎さんはいますか」
 顔見知りの手代にきくと、
「奥におりますけど、今えろう忙しいさなかでおまして……」
「すいませんが大事な用件なので、呼んできてもらえませんか」
「へえ……」
 手代は奥に入り、しばらくすると蟇五郎が現れた。
「なんや、雀(じゃく)さん」
「大尊和尚さんのことは聞いておられるでしょう」
「ああ、聞いた。えらいことやな。わしも覚えがあるが、牢問いなんぞ食ろうたら一発であの世行きや」
「なんとかしたいのですが、お力を貸してもらえませんか」
「それがやなあ……」
 蟇五郎は渋い顔で、
「それがやなあ……今忙しいのや。ほんまのことやで」
「手代さんにうかがいました。でも……」
「わしが大名貸しを頑としてせんさかい、うちの店があちこちの大名からの嫌がらせで商売あがったりなことは知っとるやろ」
「はい、うすうすは……」
「もう干乾(ひぼ)しになるのとちがうか、と思うてたときに、救いの神が現れた。美松屋はんゆうてな長浜町の大きな瀬戸物問屋や。駿府(すんぷ)に新しい瀬戸物の店を作るさかい、その仕入れ一切を美松屋はんが取り仕切る。運ぶのに千石船(せんごくぶね)が五艘(そう)いるのやが、それをみな、わしとこに任せてくれた。ありがたい話やで。その積み込みでおおわらわになっとるのや。船出の期日はもう迫っとる。風待ちやらなにやら考えると、なんぼ急いでも足りんほどなんや」
「わかります。わかりますけど……」
「美松屋はんは骨のある御仁で、大名連中が束になって『地雷屋の船を使うな』と騒いでも取り合わず、うちに仕事をくれた。その恩には報いなあかんやろ」
「はい……」
「ど性根が据わっとるというか、天保(てんぽう)の飢饉(ききん)のときは米をタダで配ったり、大塩の乱のときは炊き出ししたり、乱に加わったもんの助命に走り回ったりしたそうや」
 まただ、と雀丸は思った。なぜか大塩平八郎(へいはちろう)の名前がたびたび出てくる。大坂にとってそれだけ大きな戦(いくさ)だった、ということかもしれないが、それにしても……。
「というようなわけでな、大尊和尚のことは気の毒やと思うけど、うちもたいへんなんや。鬼御前(おにごぜん)に頼んでくれ」
「鬼御前さんも家が焼けて、駿府のお兄さんのところに行ったらしいんです。なので、蟇五郎さんしか頼る相手が……」
「悪いな。堪忍してんか。――ほな、わしは仕事に戻るさかい……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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