よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「だが、なにゆえ今ごろ大塩の……もしや残党がいて、ふたたび乱を起こさんとしておるのか」
 雀丸が、
「かもしれません。でも、だとすると水無月にいったいだれがどこから戻ってくるのでしょう」
「うーむ……」
 考えてもわかるはずもない。雀丸は話をもとに戻した。
「私のほうでも少しわかったことがあります。昨日の火事のあと、烏瓜諒太郎(からすうりりょうたろう)のところに大火傷(おおやけど)を負った男が療治を受けにやってきました。当人はカンテキで火傷した、と言っていたそうですが、諒太郎はカンテキではこんなことにはならないと思い、夢八(ゆめはち)さんにあとをつけてもらったのです。そうすると……その男は東町奉行所に入っていったそうです」
「なにい?」
 皐月は大声を出して身を乗り出した。
「やはり、そうか。深夜に奉行所に裏から入る、というのもおかしい。――そやつの見た目はどうだ」
「おでこに大きなこぶがあって、口の左にほくろがあるそうです」
「そのような小者は、東町では使(つこ)うておらぬ。もしかしたらそやつも、雷覚寺住職の従者のひとりでは……」
「なんですか、その雷覚寺って」
「京にある寺院だ。そこの住職で良苔という和尚がお頭の友人で、今、奉行所に泊まっている。美松屋という大きな瀬戸物屋の親戚だそうだ」
「美松屋……?」
「美松屋がどうかしたか」
「いえ……地雷屋さんがそこから大仕事を請け負った、と聞いたものですから。すいません、続けてください」
「大尊の名で撒(ま)かれた刷り物だが、それを配っていた男というのが雷覚寺の和尚の従者によう似ておるのだ。町奴風の髭を生やし、髷先を刷毛のようにしておるやつで、わしは吟味させてくれと八幡さまに申し出たが拒まれてしもうた。そんな男はどこにでもおる、とな。――これが、その刷り物だ」
 皐月親兵衛がふところから紙切れを出した。「赤い舌の猫が今夜四ツ時分下寺町をねぶるぞよ。剣呑(けんのん)剣呑。要久寺住職」という文字が刷られている。受け取った雀丸はしばらくその紙を見つめていたが、
「これって……さっきの猿のやつと同じところで刷られたものじゃないでしょうか」
「な、なんだと……」
「『四ツ』の『四』の彫り方が、『十四』の『四』とそっくりです。あと、右に払うところを跳ね上げているところも、筆と彫りのちがいはありますがよく似ています」
「言われてみれば……」
 皐月親兵衛は刷り物をひったくると穴があくほど凝視したあと、ふーっと長嘆息して、
「いずれも尾上権八郎が版木を彫ったもの、ということか。東町奉行所はどうなってしもうたのだ……」
 雀丸が、
「でも、この二枚の刷り物こそ、大尊和尚が下手人ではないというたしかな証拠になりますよ。ふたつを並べれば、きっとお奉行さまも花井戸さんの言うことじゃなくて皐月さんのほうを信じると思います」
「そ、そうだな……」
 皐月は二枚の刷り物を大事そうにしまいこむと、
「わしは今からこれを持ってお頭のところに参る。そして、大尊和尚の解き放ちを嘆願する」
「よろしくお願いします。うまくいけばいいのですが……」
「うむ……きっとうまくいく」
 皐月親兵衛は意気揚々と店を出ていった。いくら雀丸が横町奉行でも本物の町奉行所のなかには入れない。ここは皐月にすべてを託して待つしかないのだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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