よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka


 八幡弓太郎は不機嫌そうに、
「どこへ行っておったのだ! ずいぶんと探したぞ」
 皐月親兵衛は頭を下げ、
「申し訳ございませぬ。今朝から下腹がきりきりと痛み、今までずっと厠(かわや)に入っておりました」
「嘘ではあるまいな。例の件を勝手に調べておるようなことはないだろうな」
「お疑いならそれがしの衣服、臭(にお)うてごろうじなさいませ」
 八幡は顔をしかめ、
「まことならばよいのだ。――とっとと仕事に戻れ」
「かしこまりました。失礼つかまつる」
 皐月は八幡のまえを退出したが、同心溜(だ)まりには行かず、まっすぐに建物の奥へ向かった。町奉行の居間が近づくにつれて次第に気持ちが昂(たかぶ)ってくる。
(今からわしは、奉行所に巣食う不正についてお頭に告げにいくのだ……)
 彼はふところの二枚の刷り物のうえに手を置いた。
(これを見せればお頭はわかってくださる……はずだ)
 石田(いしだ)家用人の笹尾十内(ささおじゅうない)が廊下に現れた。六十歳を過ぎた老人だ。
「どちらへ参られる」
「お頭に火急の用件是(これ)あり、急いで面会に……」
「殿は御用続きでお疲れじゃ。日を改めなされ」
「どうしても今お会いしたい。重ねて申すが、火急の用件でござれば」
「どういう用件かな」
「それは……八幡さまからのご伝言でござる」
「なにゆえ八幡殿はご自分で参られぬ」
「その火急の件にて手が離せぬのでござる」
「ふむ……」
 用人は少し考えたが、
「よかろう。殿にお取り次ぎいたそう。しばし待たれよ」
 町奉行の居間のまえに座り、襖(ふすま)越しに声をかけた。
「殿……同心皐月親兵衛が参っております。八幡与力からの火急の伝言だと申しておりますが……」
「うむ……通せ」
 皐月は唾を飲み込み、座したまま襖を開けた。
「御免……」
 東町奉行石田長門守(ながとのかみ)が机に向かってなにやら書きものをしていた。石田は五十がらみの頑強そうな男で、顎の先が尖(とが)っていた。いわゆる槍頤(やりおとがい)というやつだ。それが、人相を厳(いかめ)しげに見せていた。
「お頭、皐月親兵衛でございます」
 皐月はその場に平伏した。
「なかに入って、襖をぴしゃりと閉めよ」
 皐月が石田とこうして一対一で会うのは、石田が先月赴任して以来はじめてのことだ。
「面(おもて)を上げよ。なにごとだ」
「は、はい……その……」
「早う申せ。わしは忙しい」
「まことに申し訳……」
「謝っている暇があるなら用件に入れ」
 石田にじろりと見られた瞬間、皐月の全身からどっと汗が噴き出した。
(今度のお頭は切れ者という評判だったが、まことのようだな……)
 ぴりぴりした空気が漂うなか、皐月は必死で言葉を探した。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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