よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「公儀には、大塩とは茶の師匠が同じだったというだけの付き合いで、なんのやましいこともない、と言上した。その申し開きが認められて此度の大坂東町奉行就任となったのだが……まことはかなり親密でな、花井戸同様強く感化された。わしのそもそもの礎は、美濃にいた幼いころ飢饉で大勢のひとが飢え死にするのを目の当たりにしたことだ。おのれも口減らしのために江戸に奉公に出され、食うや食わずの暮らしをしたこともあった。民が飢え死にするのを救えぬ政(まつりごと)などあってはならぬ。なにもかも徳川家と悪徳商人たちが悪いのだ。わしは大塩殿と、天下国家のあり方や役人はどうあるべきか、ご政道は誤っていないか、などについて夜通し論じたりしたものだ。この花井戸もまじえてな」
「花井戸さまもそのころからのお知り合いでしたか」
「同じ大塩門下で学んだ間柄だ。東町奉行拝命を機に腹心の配下としたのだ」
「そうでしたか……。私は助力を求めにいく相手を間違えたようですな」
「そのようだな。おまえがわしのところに来てくれて助かった。十六年まえと同じように、千丈の堤も蟻穴(ぎけつ)より崩るからのう」
「お頭もグルだったとは……ああ、馬鹿だ。それがしはとんだ大馬鹿でございました」
「はははは……おまえが間抜けでよかった。そう言えば、顔も間抜け面(づら)だわい」
 花井戸も、
「わしもまえからそう思うておった。娘がひとりおるそうだが、さぞかし娘も間抜け面だろうな。――のう、皐月」
 皐月親兵衛はひきつった顔で、
「さようでございます。娘もそれがしに似て間抜けでございましてな……」
「うわっはっはっ……一度見てみたいものだわい」
 石田は愉快そうに笑うと花井戸に、
「こやつ、娘をけなされても怒りもせぬ。とんだ腰抜け同心だわい」
「ですな。東町一の腰抜けかと……」
 ふたりはひとしきり笑ったあと、石田が皐月親兵衛に向き直り、
「さて、皐月。われらが企みを知ってしもうたうえは、ここで死ぬか、われらの仲間になるか、道はふたつしかないぞ。いずれを選ぶ」
「もちろん、死にとうはございませぬ。配下の片隅にお加えくだされ」
 花井戸与力が、
「よろしいのですか、お頭。かかる間抜けを仲間にしたら、どのようなしくじりを犯すかわかりませぬぞ」
「今はひとりでも仲間が欲しいところだ。間抜けでも馬鹿でも、頭数にはなる」
 皐月はすかさず、
「そうです。頭数にはなります。それがし、こう見えてなにかと間に合う男です。でも、どのような企てなのでございますか? 今のところ、この馬鹿頭ではなにがなにやら……」
「それはおいおい教えてつかわす」
 花井戸が顔をしかめ、
「ですが、このものの忠義、口先だけかもしれませぬ。信じてよいものやら……」
「それもそうだな。――皐月、八ツ半から大尊和尚の牢問いをせよ、と吟味役同心に命じてあるのを知っておるな」
「はい……」
 それを止めさせるために来たのに、とんだことになってしまった……。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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