よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「その責めの役、おまえがやってみよ」
「ええーっ!」
「いやか。いやならば、ここで死ね」
「や、やります。やりますとも。牢問いぐらいいくらでもやります。――ですが、なにゆえ大尊を陥れるのです。その理由(わけ)だけでもお教えくだされ」
「それはだな……われらの仲間である御仁をあやつが辱めたからだ。その男がどうしても仕返しがしたいと言うので、わしがお膳立てをした」
「え? それだけですか? それだけのために要久寺に火を放って、ほかの寺や人家も巻き添えにして、大尊を召し捕ったのですか?」
「そうだ。皐月……わしは敵にまわすと怖い男だぞ」
 皐月親兵衛はぞっとした。たしかにそのとおりだ。なにをしでかそうとしているのかわからないが、この人物ならやり遂げてしまうかもしれない……。
「牢問いの儀、いかにも承知いたしました。大尊に、あることでもないことでもかならずや吐かせてみせましょう」
 皐月はそう言うと立ち上がった。

 家僕を連れて外出していた園が買い物をすませて同心町に戻ってきたとき、
「大義のためとおっしゃいますが、どこに大義があるのですか!」
 どこからか女の叫ぶ声が聞こえ、園は足を止めた。
「女子供にはわからぬことだ! 放せ!」
 男の声がそれに呼応した。
「ええ、わかりませぬ。なんの罪もない商人を殺すことが大義ですか。私怨を晴らすための刷り物を作らされることが大義ですか。兄上はだまされています。いいように使われているだけです」
「なにを申す。おまえなどにわしの思いが……こ、これ……や、やめぬか! 危ない……危ないと申すに!」
 このあたりに並んでいるのはほとんどが町奉行所の同心の拝領屋敷である。声はそのうちの一軒から聞こえてくるようだ。
「やめろ! わしを殺す気か! 短刀をしまえ!」
「兄上が私の言うことを聞かぬなら、いっそこの手で殺したほうが……」
「馬鹿なことを……」
「死んでください。キクも死にまする」
「うわあっ、やめろ!」
 園は急いでその屋敷に飛び込んだ。玄関先で若い武家娘が、仰向けに倒れた侍に馬乗りになって、短刀を振り上げている。園も見知っている尾上キクだ。園はキクの腕を押さえ、
「いけません! キクさま、おやめください!」
「お放しください! こうしなければならぬ理由(わけ)があるのです」
「どんな理由があろうと、ひと殺しはいけません」
 ふたりが揉み合っているうちに、侍は起き上がり、走って屋敷の門から出ていってしまった。キクは短刀をその場に落とし、泣き崩れた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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