よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「いらざるお節介をしてしまったのかもしれませぬが……なにがあったのです」
 なにを言っても泣き続けているキクを園はなだめすかした。ようよう落ち着いたキクは、
「兄が以前、何人かの仲間とどこかの商人を斬る相談をしておりました。わたくしは、兄にそんなことをしてほしくないという一心から、竹光屋雀丸さんという方にお頼みして拵(こしら)えた竹光を、兄の刀の中身とすり替えたのです。そのせいで兄は『仕事』をしくじり、相手は死なずにすみました。わたくしは兄からさんざん叱られましたが、後悔はしませんでした。ですが……兄は今日非番のはずなのに、刀を持って出ていこうとしました。行く先をきいても答えようとしません。きっとまたそのだれかを斬りにいくつもりなのです。わたくしは兄を殺しておのれも死のうと思って……」
「そうでしたか……」
「ですが、園さんに止めていただいてよかった。わたくしが兄殺しの下手人になるところでした……」
「相手の名はわからないのですか」
「悪右衛門という商人だと申しておりました」
「悪右衛門……」
「ときどきその仲間の寄り合いがあって、そういうときは事前に庭に紙切れが落ちています。たぶん仲間からのつなぎなのだと思います。兄はそれを拾ったあと隠れて読み、こそこそとどこかへ出ていきます。この家で寄り合いがあることもあります。わたくしが聞いているとも知らず、お酒をたくさん飲んで物騒な相談をしています」
「寄り合いには、何人ぐらいが集まるのですか」
「十人を超えることもあります。わたくしは怖くて怖くて……」
「お兄さまの部屋を拝見できませぬか」
「兄は、部屋にだれかが入ることを、家族でも嫌がるのです。でも、あなたならかまいません。どうぞお入りください」
 キクの案内で園は尾上権八郎の部屋に入った。とりたてて変わったところはない。文机(ふづくえ)のうえにも硯(すずり)と筆があるだけだ。園は、押し入れを開けてみた。布団が入っているだけだ。布団を下におろす。
「あっ……!」
 園は小さな声を立てた。押し入れの奥には神棚のようなものが設けられており、そこには豊臣秀吉(とよとみひでよし)とおぼしき人物と大塩平八郎とおぼしき人物の二枚の絵姿が掲げられており、そのうえに「君臣豊楽国家安康」という文字が大書されていた。そして、数千枚はあるだろう大量の紙の山が音を立てて雪崩(なだ)れ落ちてきた。園とキクは呆然としてそれを眺めていたが、園がその一枚を拾った。それは大猿が塩をなめている絵の入った刷り物だった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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