よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka



「ああああ、退屈や」
 鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)は猫を撫(な)でながら欠伸(あくび)をした。もう何日もこの居間に閉じこもったままだ。外に出ようとすると、一番番頭の弥曽次(やそじ)がおっかない顔で押しとどめる。
「旦さん、とんでもないことでおます。侍三人にお命を狙われたのを忘れはりましたか。当面は外出(そとで)は控えていただきます」
「こんなとこに閉じ込められてたら息が詰まる。ちょびっとぐらいはええやろ」
「閉じ込められてるやなんてひと聞きの悪い。旦さんをお守りするためだす」
「はばかりへ行くのも用心棒がついてくるのやで」
「それも旦さんをお守りするためだす」
「かなわんなあ……」
 善右衛門は鼻毛を抜き、
「弥曽次、退屈しのぎや。碁でも打とか」
「わかりました。お相手させていただきます。――丁稚(こども)に碁盤を持ってこさせますさかい……」
「いや、丁稚というたかて仕事中や。手ぇとめたら商いにひびく。おまえが持ってきとくれ」
「うへえ、これはまた旦さんのありがたいお言葉。丁稚の手ぇとめたら商いにひびく……弥曽次、感服つかまつりました」
「アホなこと言うてんと、早(はよ)う持っといで」
 弥曽次が行ってしまったのを見澄まして、善右衛門は手文庫から財布を出し、部屋の外の廊下で見張りに立っている用心棒たちを呼び寄せた。
「あんたら、毎日ご苦労さん。これ、少ないけど小遣いや。わしの感謝の気持ちやさかい、とっといて」
 そう言って小粒銀で一両ずつ渡した。用心棒たちは目を丸くして、
「こんなにもらってもよいのか」
「ああ、かまへんかまへん。――ところで、わし、ちょっとはばかりへ行きたいのやが、あんたらがいつもついてくるさかい、出るもんも出んようになってな、糞詰(ふんづ)まり気味なんや。今日はひとりで行きたいから、ついてこんといて」
「それは困る。つねに見張っておるように番頭から命じられておるゆえ……」
「家のなかにあるはばかりや。だれも襲ってこんわいな。な、な、今日は存分に出すもん出したいのや。頼むわ」
 用心棒たちは顔を見合わせた。今もらった小遣いのこともある。
「わかった。では、ついていかぬことにするが気をつけてくだされよ」
「おおきにはばかりさん……て、ほんまにはばかりさんや」
 善右衛門はくすくす笑いながら財布をふところにしまい、廊下を小走りに厠(かわや)に向かったが、そこを通り越して台所に入り、勝手口から庭下駄(にわげた)をつっかけて中庭に下りた。植え込みなどに隠れながら広い庭を横切り、裏口から外へ出た。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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