よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「父親も、後添いの母親もそのあと相次いで亡くなり、尾上さまが十五歳で家を継ぐことになったのですが、そのときにはげましてくださったのが大塩平八郎(おおしおへいはちろう)だったそうです」
「なるほど……」
「たびたび結婚話が持ち上がるのですが、尾上さまが狷介(けんかい)な性質(たち)で、すぐに天下のことを論じはじめるゆえ、どれも破談になってしまうとか……」
「まわりのひとを信じられないのでしょう。それほど苦労したということでしょうね」
「キクさまのお話では、尾上さまは、だれかの私怨を晴らすために、むりやり頼まれてこの『赤猫』の文を作らされ、そのことで不満を漏らしていたそうです」
「そうでしたか……」
「尾上さまは、悪右衛門(あくえもん)という商人を斬る相談をしていたようです」
「悪右衛門……鴻池善右衛門のことですね」
「世話になっている外様大名衆からの頼みだとか」
「大名貸しをさせるだけさせておいて、払えなくなったから斬る……。ひどい話です」
「尾上さまの部屋にはまだまだ刷り物がたくさんありました。それに、太閤(たいこう)さまと大塩平八郎の絵姿のうえに『君臣豊楽国家安康』と書かれたものが神棚のようなところに飾ってありました」
「君臣豊楽国家安康か……」
 もちろん豊臣秀頼(とよとみひでより)が方広寺(ほうこうじ)に寄進した鐘銘に刻まれていた文言だ。「豊臣家の繁栄を願い、家康(いえやす)の二字を分断して徳川家を呪うもの」と家康が難癖をつけ、大坂の陣の口実となったことで有名である。それが押し入れの奥とはいえ麗々しく掲げられているとするなら、まさしく「豊臣の繁栄と徳川への呪い」を謳(うた)ったものではないのか……。
「残念ながら、豊臣秀吉と大塩平八郎を信奉する一派の仕業、というお祖母(ばあ)さまの考えは当たっていたようですね。でも、どうして今頃になって大塩の残党が動き出したのでしょう」
 雀丸が言うと園が、
「だれかが水無月に戻ってくる、というのですから、それに合わせてすべてをお膳立てしたのでしょう。きっとその『だれか』は一味の大将格で、お戻りをみなが待っていたのだと思います」
「おそらく大塩のあとを継ぐ人物、ということになります。よほどの大物にちがいありません。いずれにしても十五年かけて支度を整えたのですから、綿密な企てができあがっているにちがいないですね。これに立ち向かうのは至難の業です。横町(よこまち)奉行の手には負えない。東西の町奉行所、いや、大坂城代、ご老中にも動いてもらわなくては……」
「ですが……今どき、徳川家の天下を覆す、などということができるのでしょうか。大塩の乱のときも、半日で鎮められてしまいましたし……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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