よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka


「こ、ここは……」
 尾上権八郎は目を開けた。いつのまにか布団に寝かされている。
「気がつきはったか」
 声のしたほうに顔を向けると、
「うわっ」
 尾上は驚愕(きょうがく)した。そこに座っていたのは鴻池善右衛門だったのだ。尾上は這(は)いずるように逃げ出そうとしたが、
「ははは……逃げることおまへん。あんたはわしが雇うた用心棒に首を打たれて、気絶してしもたのや」
 横にいた若い娘が、
「うちが部屋に入ったらお父ちゃんがひとりで厠へ行った、て言うさかい、こらおかしい、なにかある……と思て裏口のほうに行ったら案の定やったわ。危ないところやったで」
 思い出した。あのとき石をぶつけながら彼の同志たちに飛びかかっていった無謀極まる娘だ。
「でも、それがしはなにゆえ死んでおらぬのだ。首をばっさりいかれたはずなのに……」
 善右衛門が、
「峰打ちやからや。わしは、なにかあっても斬らんとってくれ、わしは血ぃ見るのかなわんさかい、とくれぐれも言うてあったのや」
 尾上は布団のうえに起き上がった。
「一度ならず二度までも……不甲斐(ふがい)ない……」
「その不甲斐なさのせいで、わしは命拾いしたのや」
 尾上が自分の首に手を当てると、そこには晒(さらし)が巻かれていた。
「ああ、それはな、峰打ちとはいえ怪我(けが)しとるかもしれん、と思て、出入りの医者に診てもろたのや。幸い骨は砕けてないらしいけど、念のために打ち身の治療をしてもろてある」
「かたじけのうござる……」
 尾上はか細い声で言った。
「貴殿の命を狙(ねろ)うたそれがしを介抱してくださるとは……なぜでござる」
「いや、べつに……目のまえで怪我をしたものがいれば助ける。それがあたりまえだすわ」
「そんなことは考えたこともない。それがしは貴殿を殺そうとしたのだぞ!」
「大きい声出さんでも聞こえてますがな。けど、それが大坂の人間の……いや、人間だれしもの自然な気持ちやおまへんかな。常日頃憎しみ合うてる相手でも、そこで苦しんでたらなんとかしたろ、と思いますやろ」
「それがしの仲間はどうなった」
「はははは……薄情なもんや。あんさんが気絶したのを見て、馬鹿とか間抜けとかさんざんののしったあげくに逃げていきよりましたわ」
「そ、そうか……」
 尾上はしばらく下を向いていたが、
「つかぬことをうかがうが、善右衛門殿はかつての飢饉(ききん)のとき、大塩平八郎殿から救民のための金を貸してほしいとの申し出があったのを拒まれた、と聞いておるが……その真意やいかに」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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