よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「なんや、そんなことかいな。あれはなあ、大塩さんからそう言われたんで、わしもええこっちゃ、大坂のみんなをなんとかしたろ、と思て、貸すのやのうて差し上げるつもりで二万両ほど支度しとったのや。それが、なんでかわからんけど、町奉行の跡部(あとべ)さまから、大塩に金貸すことまかりならん、とお差し止めがあってなあ……」
「そりゃまことか」
「結局、どないしたらええんかいな、と思うとるところへ大塩さんが乱を起こしてしもたんで、わしはその金を、大塩焼けで焼け出された町人連中に分けてさしあげた。同じころに、おんなじように焼け出されたお侍の子らを引き取って育てとった河野四郎兵衛(こうのしろべえ)ゆうご浪人もいてはったみたいやな。みんな、おのれの分相応にでけることをやったというだけの話や」
 尾上の両目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「あんさん、泣いてなはる?」
「う……うう……それがし、生まれてから今まで泣いたことがないのでわからぬのだ」
 さきが驚いたように、
「あんた、泣いたことないんかいな。なんちゅう不幸せなひとや。うちなんかしょっちゅう泣いてるで。わんわんいうて……それで涙が出んようになるまで泣き尽くしたら、つぎになんとかしよ、ていう気になるもんなんや」
「そういうものか……。それがしには妹がひとりおるが、よう泣いておる」
「なんでやのん?」
「それがしが不埒(ふらち)な企ての仲間入りをしているのが悲しいのだろう。だが……ようやく目が覚めた。もう二度と妹を泣かすようなことはせぬ」
「なんやわからんけど、それがええわ」
「善右衛門殿、それがしを会所(かいしょ)に突き出してもらいたい。それが善右衛門殿に報いる道と心得る」
「いや……それはあかんわ。あんさんらがなにを企(たくら)んどるか知らんけど、それはたぶん世のためのようで世のためやない。あんたの仲間を説き伏せて、愚かな真似(まね)をやめさせるのがあんさんのやるべきことやないか?」
「まことにそのとおりだ。――では、善右衛門殿、それがしはそれがしにできることをするために戻る。さらばだ」
「大事おまへんか。もう少し寝てはったほうが……」
「いや、大丈夫だ。――御免」
 尾上権八郎は、しゃくりあげながら部屋を出ていった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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