よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「ほざけ」
 花井戸が繰り出した槍を刀の腹で払いながら、後ろにいる皐月に、
「早う逃げられよ」
「か、かたじけない……」
 皐月は左肩を押さえながらよろよろと廊下を歩き出す。
「逃すかっ」
 花井戸が追いかけようとしたとき、彼の目のまえに天井から足が一本、ずぼっ! と下りてきた。
「うわあっ……!」
 足に頭を蹴られて、花井戸は尻餅をついた。良苔が数珠を取り出し、
「ば、化けものじゃあっ! 妖怪退散、妖怪退散……」
 足はすぐに引っ込んだ。花井戸はなんとか立ち上がり、皐月を追おうとしたが尾上が立ちふさがった。
「どけ、尾上。今ならまだ復帰が叶(かな)うぞ」
「うるさい!」
 尾上は刀を正眼(せいがん)に構えた。そこへ天井板をむりやり剥がして夢八が飛び降りてきた。
「尾上さん、皐月さんはわたいが連れて帰りまっさ」
 花井戸は鬼のような形相になり、
「くそっ……またおまえか」
「へへへ……いつも天井からすんまへんな」
「なにものだ。まさか公儀の……」
「その『まさか』ゆうやつだすわ。あんたらの企て、しっかりこの耳で聞きましたで」
 尾上は夢八に向き直ると、なにかをふところから取り出し、夢八に手渡した。
「これを頼む」
「へ? なんだすねん」
「あとで見ればわかる。――行け。行ってくれ」
「ほな、お言葉に甘えます。あんさんもご無事で……」
 夢八は皐月を抱えるようにして廊下を走り去った。それを見届けた尾上がなにかを遣り遂げたようにうなずいたとき、
「ずわあっ!」
 花井戸が裂帛(れっぱく)の気合いとともに槍を突き出した。尾上は振り向きざま刀を振るったが、それはむなしく空を切った。その瞬間、尾上は脇腹に凄まじい「熱」を感じた。
(そうか……腹を刺されると痛いというより熱いのだな……)
 そんなことを思っていると、
「裏切りものめ。思い知ったか。天誅(てんちゅう)だ」
 花井戸の声がどこか遠くから聞こえてくる。尾上は目を閉じた……永遠に。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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