よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「やったか」
 石田奉行が言った。
「はい……」
 花井戸は大きく息を吐いた。
「連判状は無事か」
「取り戻しました。皐月が写そうとしていたものも、これこの通り……」
「でかした。これで安心だ」
 良苔が頰の肉を震わせながら、
「なにが安心なものか。今の町人、公儀隠密だと申しておったではないか。このことがお上(かみ)に知られるとまずいぞ」
「なにを申す。われらは今からお上に楯突(たてつ)くのだ。なにもまずいことはない」
 花井戸が、
「ですが、向こうに備えの猶予を与えてしまいます」
「うむ……」
 石田は腕組みをしてしばらく黙っていたが、
「決行を早める」
「いつになさいます」
「明日だ。皆につなぎを配れ」
 石田奉行はそう言った。

 左肩から大出血している皐月親兵衛を背負って、夢八は大川沿いを駆けに駆けた。
(わたい、なんや近頃、こんなことばっかりしてるなあ……)
 鶴のように痩せていた大尊と違って皐月親兵衛は重かったが、火事場の馬鹿力を発揮して、桶ノ上町(ひのうえまち)の能勢道隆(のせどうりゅう)のところへ担(かつ)ぎ込んだ。
「ふーむ……かなり血を失(うしの)うておるようだな」
 額に玉の汗を浮かべて苦しそうにあえぐ皐月親兵衛を見下ろし、道隆は言った。
「途中で血止めしましたんやが……あきまへんやろか、先生」
 夢八が言うと、
「まあ、なんとかやってみよう」
 道隆は治療をはじめたが、次第にその表情は曇っていった。
 四半刻(しはんとき)ほどして、夢八が近所のこどもに託した伝言を受け取った園と雀丸、そしてさきが駆けつけた。さきは、鴻池善右衛門がまた襲撃にあったことを雀丸に伝えにきていたのだ。
「お父さま!」
 園が父親にすがりつこうとしたが道隆に制された。園は道隆に、
「お願いです。父を……父を助けてください」
 さきが泣きながら、
「このおっちゃんはええおっちゃんなんや! 高知でもいろいろ助けてくれたし、うちのことごっつう可愛(かわい)がってくれた。せやから……先生、なんとかして!」
「わかっておる。だが、今はおまえたちに手伝えることはない。向こうに行っておれ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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