よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「東町奉行所は大騒ぎになっております」
「これは……来るぞ!」
 大坂城代は言った。半信半疑だったものが、確信に変わったのだ。
「今日か……明日かだ。皆のもの、持ち場につけ」
「ご老中にはお届けするのですか」
「万が一なにごともなかったら、騒擾(そうじょう)ものめ、とわしがお咎(とが)めを受ける。ここはわれらだけで万全の備えをして彼奴(きゃつ)らを捕らえ、ことが片づいたあとご老中にお知らせするのだ。まずは、火薬庫に万全の手配りをいたせ。――よいな」
 大坂定番、弓奉行、鉄砲奉行、具足奉行、金奉行、東大番、西大番、加番(かばん)……などに属する与力、同心たちも本格的に武装し、本丸、二の丸、追手口、京橋口、玉造口などの警備に当たった。ことに火薬庫と金蔵は厳重な警戒が敷かれ、夜間も交代で見張りを続けた。船手奉行は河川を見張り、怪しい船の出入りがないか検問した。西町奉行所の与力、同心衆はすべての長吏(ちょうり)、役木戸、小頭(こがしら)、若いものらを動員して市中の見廻りを強化した。これらのことはひそかに行われたので、関係者以外は、
「町なかになんだか役人の数が多いな」
 ぐらいの印象しか持たなかっただろうが、その実、水も漏らさぬ警戒が行われていた。大坂の五分の一を焼き尽くした十六年まえの轍(てつ)を踏まぬよう、皆がいまや遅し……と待ち受けたのである。
 しかし。
 一日過ぎても、二日過ぎても、三日過ぎても……なにも起こらなかった。
「どういうことだ!」
 大坂城代は雀丸に詰め寄ったが、雀丸もどういうことなのかさっぱりわからなかった。連判状に載っていたうち二百五十人ほどの人間が大坂から消失したのである。

 夜中に大坂を発(た)って四日、鬼御前(おにごぜん)は駿府(すんぷ)にいた。着いてすぐに旅装も解かず兄の行方をたずねて回ったが、ようやくそれが知れたのは翌々日だった。武田新之丞(たけだしんのじょう)は山中の神社にいた。大怪我(おおけが)を負っており、命に別状はなかったが、起き上がることはできなかった。追っ手から身を隠すため部屋に籠もっており、医者にもかかっていなかった。
「兄(あに)さん……」
「おお、はなではないか。よう来てくれた……」
「兄さんのことが案じられてな……」
「すまぬ。子細は書状に記したとおりだ。雀丸殿に渡してくれたか」
「それがその……」
 鬼御前は、下寺町(したでらまち)で火事があり、類焼で口縄坂(くちなわざか)の家が丸焼けになったことを告げた。
「子方(こかた)の豆太(まめた)に、雀さんに渡すように頼んどいたさかい、渡してくれてる、とは思うけどな」
「そうか、おまえも苦労したのだな。そんなたいへんな折に、わしに会いにきてくれたとは……」
「ええがな、ええがな。どうせ住むとこのうなったのや。身軽なもんや」
「金を工面して一家を立て直さねばなるまいに」
「今はとりあえず目先のことだけを考える。兄さんのほうがずっとたいへんやがな。――で、どんな塩梅(あんばい)なん?」
「よくない。わしひとりではどうにもならぬ。雀丸殿と三すくみの助力を当てにしておるのだ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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