よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

     一

 大坂城代守口貞尚(もりぐちさだなお)はぎりぎりと歯軋(はぎし)りをした。
「竹光屋雀丸(たけみつやすずめまる)、貴様のようなやつを信じたわしが馬鹿だった。ご老中にお知らせしなくてよかったわい。とんだ赤恥を搔(か)くところであった……」
 すでに大坂城の与力(よりき)、同心衆は武装を解き、平常の勤務に戻っていた。
「それにしても雀丸……なにゆえお上(かみ)をたばかろうとした。ありていに申せ!」
「いや、たばかるなんてそんな気持ちは少しもありません。私も困惑しているところなんです」
 ぎりぎり……ぎりぎり……。
「嘘(うそ)を申せ。なにが狙いだ。白状いたせ」
「白状もなにも……心から大坂のことを思ってやったことです」
「なんだと? 貴様、町奉行に命じて牢問(ろうど)いにかけてやろうか」
「勘弁してください」
「ならば、大坂構え(追放)にしてくれる」
「それも勘弁してください。だいたい私は罪を犯していないのに、どうして罰を受けねばならないのですか」
 ぎりぎり……ぎりぎり……。
「罪を犯していないだと? 大塩(おおしお)の乱がふたたび起きる、という根も葉もない噂(うわさ)を撒(ま)き散らしていたずらに不安をあおり、人心を攪乱(かくらん)したではないか。わしをはじめ、大坂定番(じょうばん)、弓奉行、鉄砲奉行、具足奉行、金(かね)奉行、東大番、西大番、加番(かばん)……などに大迷惑をかけたことを、罪ではないと申すか」
「迷惑はかけたかもしれませんが、罪ではないと思います。それに……連判状に載っている三百人もの人間が一度にいなくなるなんておかしいじゃないですか。ことに東町奉行が役目を放り出して消えてしまうなんて、どう考えても変です。武装を解くのは早いですよ」
 ぎりぎり……ぎりぎり……。
「まだ申すか。なにもないのに鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、徹夜で火薬庫や門の警固にあたっているもののことを考えてみよ。皆、貴様の虚言(そらごと)に踊らされたのだ。物笑いもよいところではないか」
「うーん……では、やつらはなぜいなくなったのでしょう」
「企てが露見したと思って、決行を中止し、よその土地にでも逃げたのであろう」
「だとしたら、またやるかもしれませんよ。やはりご老中にはお知らせしたほうが……」
「あとでなにもなかったときにご老中から叱責されるほうが怖い。わしは、わしの大坂城代在任中にこの土地でなにも起きなければそれでよいのだ。よその土地で彼奴(きゃつ)らがなにをしでかそうと、それはわしの知ったことではない」
「はあ……無責任だなあ……」
「なにか申したか」
「いえ、なんでもありません」
「申しておくぞ、雀丸。わしらはけっして貴様を許したわけではない。本来なればひっ捕らえて牢に放り込みたいところだが、それができぬゆえこのように歯軋りをしておるのだ」
「あ、このぎりぎりという音はご城代さまの歯軋りでしたか。だれかがどこかでノコギリを使ってるのかと思っていました」
「馬鹿もの! 貴様の顔は二度と見とうない。あえて大坂構えにはいたさぬが、大坂にはおれぬようにしてやる」
「そ、そんな無茶な……」
「それぐらいわしは怒っておるのだ。肝に銘じておけ!」
 さんざん叱られて、雀丸は大坂城をとぼとぼと退出した。久しぶりに来たかつての職場を懐かしむ暇もなかった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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