よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 家に戻ってみると、園(その)と大尊和尚(だいそんおしょう)が待っていた。東町奉行が不在になったので、大尊も大手を振って外に出られるようになったのである。
「どうであった?」
「めちゃくちゃに怒られました。大坂から出ていけ、と言われました」
 園が、
「まあ、ひどい……」
「召し捕って牢屋に入れる、とまで言われました。なんにしても大坂城代と町奉行ににらまれたら、大坂に居づらくなることはたしかですね。商いもやりにくくなるし、横町(よこまち)奉行としても……。皐月(さつき)さんのほうはどうですか」
「道隆(どうりゅう)先生のおかげで命は取り留めました。普段ならとても使えないような高いお薬をたくさん使ったからなのですが、鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)さんがお見えになって道隆先生に、お金ならいくらでも出すから薬は惜しまず使(つこ)うてくれ、とおっしゃってくださったのです」
「へえ……善右衛門さんが……」
「でも、まだ安堵(あんど)できぬそうで、しばらくは床についたままだと思います。道隆先生からも、けっして動かすな、と言われております」
「早く元気になってほしいですね……」
「はい……普段は父のことをうるさいなあと思うておりましたが、物言わぬようになると心もとない気持ちです」
「烏瓜諒太郎(からすうりりょうたろう)にも手伝わせましょうか。あいつなら蘭方に詳しいから、なにかべつのやり方を知ってるかもしれない」
「道隆先生もそうおっしゃったので、烏瓜さんのところに行ったのですがずっとお留守みたいなんです」
「なんだ。あいつ、肝心のときにどこに行ったのかな」
 東町奉行が失踪してしまったので、今、東町奉行所は開店休業状態である。石田長門守(いしだながとのかみ)からの病気届けが老中に受理されれば、新任の町奉行が江戸からやってくるはずであるが、ちょうど西町に月番が切り替わるところだったので、大坂の町は表面上平穏さを保っている。公儀はおそらく「病気による退任」扱いにして失踪したことをもみ消そうとするだろう。
「ですが……どう考えてもおかしいですよね。あいつらの狙いはてっきり大坂城だと思っていたんですが……」
「大坂ご城代のおっしゃるように、企(たくら)みに感づかれたと察して逃げたのじゃないでしょうか。でも、なにごともなくてよかったです」
 雀丸は心のなかで、
(なにごともなくて、か……)
 と思った。駕籠(かご)屋と皐月親兵衛(しんべえ)は大怪我(おおけが)をし、大尊和尚や鬼御前(おにごぜん)たちは火事で住処(すみか)を失い、尾上権八郎(おのえごんぱちろう)にいたっては命を落としたのだ。
(これで終わるとは思えないけど……)
 とはいえ、大坂城での大きな激突や大坂市中の破壊、放火などが回避され、最悪の事態は免れたのだ。大坂城代に叱られようと疎んじられようと、最悪の事態を免れたことは素直に喜ぶべきだろう。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number