よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 異国船が頻繁に来航して開国を迫り、徳川家の屋台骨が揺らぎつつある今、とくに外様(とざま)大名たちは、いつなにが起こってもおかしくはない、そのときにあわてることなく対応できるよう支度だけは怠りなく調えておこう、と考えている。具体的に言うと、西洋流の軍備の増強である。大砲や新型銃、軍船などを海外から調達するのだ。しかし、それには金がかかる。長年の参勤交代や役務などで大名たちの台所は火の車だ。しかたなく商人たちから多額の借金をする。いわゆる大名貸しだ。それが積もり積もって彼らは首が回らなくなっている。すべては徳川が悪いのだ。徳川家と大商人がいなくなれば、どれだけ楽だろうか……。大塩は、鴻池善右衛門をはじめとする大名貸しをしている商人たちを「始末する」ことを約束する。これに飛びついた大名たちの後押しを得て、江戸と対決するつもりなのだ。
「我と思わんものは、余とともに立ち、徳川の世を覆さんや……という檄文を書くようです」
「ほんまの大塩やったら、さぞ効き目ありまっしゃろな。いっぺん乱を起こしてるだけに真実味がおますわ」
 豆太が言った。
「大塩側には、さらに徳川に大打撃を与える秘策があるようですが、それについては武田さんも探り出せなかったようです」
 夢八が、
「なるほど……遠い大坂城に立て籠るより、東海道の要である駿府城を押さえるほうが江戸城に脅しが効きますわなあ」
 園も、
「そうですね。それに、東照(とうしょう)神君を祀っている久能山を壊してしまえば、家康公の神としての権威は地に墜(お)ちてしまいます。徳川家としては大きな痛手でしょう」
 大尊が、
「大塩の乱のとき、大塩平八郎は天満(てんま)の川崎(かわさき)東照宮で挙兵した。あれも、そういう意味があったのかもしれんな」
 雀丸が腕組みをして、
「駿府城内にも内通者が何人もいる、ということであれば、うかつに駿府城代に手紙も出せませんね。いや……城代当人が大塩一味かもしれない。駿府町奉行所も怪しい。なにしろ大坂東町奉行が一味だったわけですから、もうなにも信じられません」
「武田さんはどこにいてはるんやろ」
 夢八が言うと、
「手紙には、余は駿府の山中に隠れおるつもりなれど、とあります」
 蟇五郎が立ち上がり、
「こうしてはおれん。あの五艘の船が清水に着くまでに、船頭たちにこのことを知らせんと……」
 豆太が、
「けど、もう紀州灘(きしゅうなだ)を越えとりまっしゃろ。陸(おか)を行こうと海を行こうと、なんぼ急いだかて追いつきまへんで」
 園が、
「あ、そうだ。夢八さんの鳩(はと)を使えば……」
 夢八は口惜しそうに、
「それがあきまへんのや。伝書鳩ゆうのは、どんな遠いところからでもおのれの巣に戻ってくる。せやから、遠方まで連れていってそこで放したら家にものを届けよるけど、逆はでけへんのや」
「そうでしたか……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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