よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka


 雀丸は、大坂城代守口貞尚の下屋敷の一室にいた。守口の屋敷は城内千貫櫓(せんがんやぐら)の北側だが、下屋敷は真田山(さなだやま)に近いここ清水谷(しみずだに)にあったのだ。守口はむっつりした顔つきで扇を開いたり閉じたりしていたが、
「なにゆえまた来たのだ。わしが忙しいのがわからぬのか」
 再三面会を求めたがどうしても会いたくないと突っぱねる守口に、雀丸はまたまた最終手段として鴻池善右衛門に助けを求めた。善右衛門の添え書きがあっては、天下の大坂城代も断るわけにはいかぬ。多少であっても時間を割き、善右衛門の顔を立てざるをえないのだ。
「お忙しいのはわかっております。ですが……たいへんなことがわかったんです」
「おまえのたいへんは聞き飽きた。大坂城に大塩の残党が乗り込んできて火薬庫に火をつける、と申しておったのになにも起こらなかったことを忘れたか」
「それがその……あれはまちがいでした」
「そんなことはわかっておる」
「いえ、その……大坂城ではなく駿府城だったのです」
「はあ?」
 大坂城代は目をひん剥(む)いた。
「わしをはじめ大勢をたばかった舌の根も乾かぬうちに、またぞろそのような嘘を申すか!」
「う、嘘じゃないんです」
「やかましい! 貴様のようなやつを西洋では狼(おおかみ)小僧と申すそうだ」
「狼……小僧?」
「狼が来たぞ、といつも嘘ばかり申して村人をからかっておった小僧がおっての、まことの狼が来たときには、また嘘だろうとだれも相手にせず、とうとう小僧は食い殺されてしもうたそうだ。貴様もそのようにたわけた嘘ばかりついておると、だれにも相手にされぬようになり、そのうちまことに狼が来たときにとんだ目に遭うぞ」
「だーかーらー、今がそのまことに狼が、じゃなくて、大塩が来たときなんですよ!」
 大坂城代の顔つきが狼のように凶悪なものに変じ、
「まだ言うか、たわけめ! 出て失(う)せい! 貴様の顔など二度と見とうない! 大坂から去れ! 去れ去れ去れ去れ、どこかへ行ってしまえ! つぎに貴様を往来で見かけたら、どのようにでも理屈をつけて叩き斬ってくれるから覚悟しておけ!」
「え……? では、駿府城代にこのことをお知らせいただけないのですか」
「あったりまえだわ。そんなことをしたらわしがまた大恥を搔くだけではないか。なめるな!」
「なめてなんかいません。ですが……もし、私が言ってることが間違いではなかったらどうなさいます?」
「そんなことはなかろうが、もしもそうだったとしてもそのときは駿府城代たちが困るだけだ。わしはなにも知らなかった、聞かなかった、見なかった……」
「うわあ、ご自分さえよければいいんですね」
「そうだあっ! 悪いか!」
 守口は持っていた扇を雀丸に投げつけた。雀丸はひょいとよけると、
「だめだこりゃ」
「なに?」
「なんでもありません。失礼いたしました」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number