よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 一礼すると雀丸は大坂城代の下屋敷をあとにした。歩きながら雀丸はさっきの地雷屋蟇五郎の発言を思い返していた。蟇五郎はこう言ったのだ。
「よっしゃ、わかった。船、沈めるわ」
「えーっ!」
 一同は驚愕した。
「それしかないやろ」
 大尊和尚が、
「積荷をひとつずつ検めて、武器だけを海中に投じればよいのではないか」
「そんな暇はないわ。もし、そんなことをしとるあいだに大塩一味が船に乗り込んできたらおしまいやないか」
「五艘とも沈めるんですか」
 と雀丸がきくと、蟇五郎はこともなげに、
「そや。思い切って五艘ともいてこましたれ。ケチってなにもかもダメになってしもたら、悔やんでも悔やみきれんことになる。それに、鳩の足につける紙にくだくだと経緯(いきさつ)を書くわけにはいかん。こういうときのために船頭とわしのあいだで決め事がしてあるのや。美松屋の船来ても荷渡すな。五艘即刻『沈』……それだけでええ」
 雀丸がおずおずと、
「そうしてくださるのはありがたいことですけど、そうなったら蟇五郎さんは身上(しんしょう)限りになってしまいます」
「そやな……たとえ財産が少しでも残ったとしても、わしの信用は地に落ちる。おのれの船を五艘も沈めるような廻船問屋には今後だれも仕事を頼まんやろ。身上限りになるやろな」
 大尊和尚が、
「えらい!」
 大声を出した。
「わしもおまえさんとは長年の付き合いじゃが、はじめてえらいと思うた。人間は本来無一物。なにも持たずにこの世におぎゃーと生まれてきたのに、次第に財産や金が増えていき、それらに執着(しゅうじゃく)するようになる。無一物になった、というのはもともとのおのれに戻った、というだけのこと。わしも住み慣れた寺が燃えてしもうたが、惜しいとは思わぬ。なにも持っていないと、どこへでも行ける。囚(とら)われることがなくなる。良いことずくめじゃ」
 蟇五郎はうなずき、
「わしはな、目先の商いのことに気が行ってしもて、あんたや鬼御前、皐月親兵衛はん、夢八どん……そういった仲間を省みられんかったのをほんまに恥ずかしいことやった、と気がついたのや。五艘の船はわしの罪滅ぼしや」
 蟇五郎は遠くを見るような目をして、
「わしは一代限りでこの財を築いた。一代限りで潰してしまうのもまたよし、や。ええ夢見せてもろてたな」
 そして、一歩ずつ踏みしめるようにして竹光屋を出ていった。雀丸は城代下屋敷からの帰途、そのことを思い出していた。
(鳩はちゃんと働くだろうか……)
 もし、鳩が船に着かなかったら、せっかくの蟇五郎の覚悟も無駄になる。雀丸は祈るような気持ちだった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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