よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「ただいま帰りました」
 家の暖簾(のれん)をくぐると、加似江(かにえ)が座っていた。
「大坂城代は相手にしてくれなかったであろう」
「わかりますか」
「わしが城代でもそうする」
「大坂から出ていけ、とまた言われました」
「うむ。ならば出ていこう」
「え?」
 雀丸が見ているまえで加似江は旅支度をはじめた。
「お祖母(ばあ)さま、なにをしてるんです」
「見ればわかるじゃろう。旅装を調えておる。おまえもぼーっと見ておらず、おのれの支度をせよ」
「どちらに行かれるのですか」
「寝ぼけたことを申すな。駿府に決まっておろう。大坂城代がなにもしてくれぬならば、われらの手でどうにかするほかなかろう。大尊と夢八も、おそらく駿府に向かうことになるだろうから荷物を取ってくる、と申して出ていったぞよ」
「大尊さんと夢八さんにはぜひ来てほしいのですが、お祖母さまはここでじーっとしていただいたほうが……」
「だまれ! 天下の一大事じゃ。わしが出張(でば)らねばことが収まるまいに」
 雀丸はため息をついた。
(このひとが出ると、収まるはずのことも収まらなくなるんだよな……)
「なにか申したか」
「いえ? まったく……」
「心のなかでなにか思うたであろう」
「心のなかまでは放っておいてください。――わかりました。では、お祖母さまも一緒に参りましょう。ですが、これは土佐に行ったときのような遊山の旅ではありませんよ。いろいろ不便や危ない目に遭うこともあると思います。それをご承知のうえならば……」
「雀丸……」
 加似江は雀丸の言葉をさえぎった。
「わしは大坂を捨てるつもりぞよ」
「え……」
「此度(こたび)のことは尋常ではない。おまえも旅先にて果てるかもしれぬ。そう思うておる。なれど、可愛(かわい)い孫のおまえひとりを送り出すのは嫌じゃ。死ぬならもろともぞ、雀丸」
 雀丸は頭を垂れた。祖母の気持ちがありがたかった。しかし、加似江を死なせるわけにはいかぬ。
「私は大坂に……ここに戻ってくるつもりです。死ぬつもりも毛頭ありません。ですから、お祖母さまも一緒に戻りましょう」
「うむ、その意気ぞ」
 雀丸も支度をしていると、そこに大尊和尚と夢八、それに地雷屋蟇五郎が来た。三人とも旅装である。
「鳩はいかがでしたか」
 蟇五郎が、
「わからん。けど……放した途端、ためらいなく東のほうにまっすぐ飛んでいきよったさかい、あれは船に積んだおのれの巣を目指したと思う。わしはそう信じとる」
「そうですか……」
「鳩を飛ばすとき、角兵衛(かくべえ)が泣いてとめよった。『旦さん、正気だすか。それ飛ばしたら、店も奉公人もみな、わやになりまんのやで』て言いよった。うちに来てから一度もわしに逆ろうたことのないやつやったけど、最後の最後に逆らいよったな。わしは、『じゃかあしい。わしが作った店、わしが潰すのが悪いんか』言うて角兵衛を蹴り倒して鳩を飛ばしたのや。ちゃんと飛んでいってもらわな困るで」
「…………」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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