よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「では、これを飲んで門出を祝おうではないか」
 加似江の音頭で皆は湯呑みに口をつけた。ほかのものは一口啜(すす)っただけだが、加似江だけはがぶりと飲んだあと、
「まずっ!」
 と叫んで吐き出した。
「なんじゃ、これは! こんなものが飲めるか!」
 雀丸も顔をしかめて舌をべーっと出し、
「たしかに不味(まず)いですね。苦いような甘いような……」
 夢八も、
「酒のような酒でないような……」
 さきは、
「うち、舌の先でちょっとなめただけやのに、ぞぞぞっ……てなったわ」
 大尊和尚も、
「わしは酒なら焼酎、どぶろくなんでもござれじゃが、これだけはいただけぬ。日本の酒のほうがずっと美味いではないか」
 加似江が板場に向かって大声で、
「おい、屯次郎! なんと思うてわしらにかかる味(もみ)ないものを飲ませたのじゃ!」
 屯次郎は包丁を持ったまま出てくると、
「いや、メリケンのオイスキイゆうのはそういうもんだすのや。あちゃらの連中はそれを美味い美味いゆうて飲みますねん。まあ、皆さんの口には合わんかもしれんけど……」
 そう言うと屯次郎はまたしても板場へ戻っていった。
「ああ……後口が悪い。このようなものを美味がるとはメリケンのやつらの舌はおかしいぞよ」
 加似江は水をがぶがぶ飲んでいる。雀丸は、加似江の舌が真っ赤になっているのに気づき、首をかしげた。おそらくおのれの舌もそうなっているのだろう。
「さあ、ソウプや」
 屯次郎が運んできたのは塗り椀(わん)に入れた汁物である。飲んでみると、不味くはないが美味くもない。
「スカみたいなもんじゃのう。これがソウプかや」
「メリケンでは飯食うまえに飲むのや」
「白湯(さゆ)に塩を入れただけのようにも思えるが……」
「は、ははは……そんなわけないやろ、おばん」
「だれがおばんじゃ」
「ご隠居、ソウプゆうのは牛の骨で出汁(だし)を取って、そこにバタやらなにやらを入れて、味付けしたものや。ごっつう手間ひまのかかっとるもんなんや。それを白湯に塩入れただけやなんて……ははは……はは……」
 空虚な笑い声を立てながら、屯次郎は板場に戻っていった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number