よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka


 さっきまで凄(すさ)まじい勢いで降っていた驟雨(しゅうう)がやんだ。良い風も吹いてきた。ようやく船を進めることができる。船頭の紺八(こんぱち)は胸を撫(な)で下ろした。このあたりで船足を速め、距離を稼いでおかないと瀬戸物屋の開店に間に合わない。紺八は美松屋の主から、くれぐれも日程は守ってほしいと直(じか)に念を押されていたのだ。
「猪彦(ししひこ)、帆を揚げろ」
 紺八は楫取の猪彦にそう命じ、自分はほかの船にそれを伝えるために舳先(へさき)に立った。船頭というのは船の責任者であるが、五人の船頭のなかでもっとも年嵩(としかさ)の紺八は地雷屋蟇五郎から五艘の船の指揮者である船頭肝煎(きもい)りを任されていた。
「む……?」
 紺八は前方からこちらに近づいてくる船を見出した。水押し(船首)や帆、幟(のぼり)などに家紋も船印もついておらず、どこの廻船問屋のものか、もしくはどこの大名家のものかわからない。
「なんじゃ、あれは……」
 紺八が小手をかざしてもっとよく見ようとしたとき、
「紺八どん、鳩が来よったで」
 帆を半ばまで揚げかけていた猪彦が、帆柱の最下部に取り付けられた籠を指差した。
「おお……ほんまに来よったか」
 紺八は感動の面持ちでその鳩を見た。
「どこぞの迷い鳩とちがうか。なんぼなんでも大坂から、動いてる船までたどりつけるとは……」
 猪彦が言うのをさえぎり、
「いや、こいつは旦さんが飼(こ)うてはる『ぽっぽ丸』に間違いない。羽の模様とか目の周りの色合いとかに見覚えがあるわ」
「すごいもんだすなあ、伝書鳩いうのは」
「旦さんも、うまくいくかどうかはわからんけど試してみる価値はある、て言うてはったけど、こないにうまいこといくとはなあ……」
 そう言いながら紺八は鳩の足から筒を外し、なかから小さな紙を取り出した。それを一読した紺八の顔色が変わった。
「猪彦、帆を下ろせ」
「なんででおます」
「船を止めるのや。水夫(かこ)にも漕ぐのやめろ、て言え。わしはほかの四艘の船頭に知らせる」
「せっかく追い風やのに……」
「ええから早よせえ。旦さんのお指図や」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number