よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十七話 黒船来航の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

     二

 西町奉行本俵近江守(ほんだわらおうみのかみ)に手形を申請すると、
「なに? 大坂から出ていく? それはよい。もう二度と帰ってくるでないぞ」
 という言葉とともに往来手形が全員の分即座に下げ渡された。雀丸(すずめまる)一行六人は、それを持って大坂から駿府(すんぷ)へと向かった。普通なら十日ほどかかるところだが夜に日を継いで急ぎに急ぎ、四日で駿府に到着した。心配していた大井川(おおいがわ)の川留めもなく、順調な道中ではあったが、さきや加似江(かにえ)には駕籠(かご)を雇ったもののそれでもたいへんな強行軍であり、つらい旅だった。しかし、さきは一度も弱音を吐かず、笑顔で乗り切った。反対に弱音を吐きまくっていたのは加似江で、夜も昼も文句を言い倒していた。
「そんなに言うのなら、お祖母(ばあ)さまは途中の宿で休んでいてください」
 雀丸は何度もそう勧めたのだが、
「いや、行く」
「ならば文句は言わないでください」
「文句は言う」
 とは言ったものの、さきに励まされながら、加似江も長旅を最後まで完遂したのである。雀丸は内心、
(たいしたものだ……)
 と思っていた。年齢から考えるとたいへんな健脚ではないか。だが、口に出すとつけあがるので黙っていた。
 途中、ふたりの旅人が歩きながらしゃべっている、その会話が雀丸たちの耳に入った。
「なあ、ヤジさん。昨日、焼津(やいづ)の沖のあたりで千石船(せんごくぶね)が四艘(そう)も沈んだそうだぜ」
「ああ、宿の女中が言ってたなあ。だれの持ち船か知らねえが、その野郎どえらい損を抱えやがったろうな」
「俺なら首くくるね」
 地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)がそのうちのひとりの胸ぐらを摑(つか)んだ。
「な、な、なにしやがるんだ、藪(やぶ)から棒に」
「その船はな……その船はわしの持ちもんや」
「え? そいつは知らなかった。おまえさん、たいへんな災難に遭いなすったねえ」
 だが、蟇五郎は笑い出した。
「そうかそうか……あはははは、そうか……よかったわい。よかったわい。鳩(はと)が来た〜鳩が来た〜ぽっぽっぽっぽっ、鳩が来た〜」
 歌いながら踊りはじめた蟇五郎を見て、ふたりの旅人は顔を見合わせ、
「財産失(な)くして頭が変になっちまったんだな。かわいそうに……」
「無理もねえや。千石船を四艘失くしちまったんだから……」
 それを聞いた蟇五郎は踊りをやめて、またしても旅人の胸ぐらを摑み、
「おい、今、なんと言うた。千石船を四艘、と聞こえたが……」
「そう言ったんだよ」
「五艘やないのか! 沈んだのは四艘か!」
「し、知らねえよ。今朝宿を出るときに女中が言ってただけなんだからさ。くくく苦しい……手を放さねえか、この野郎」
「ほな一艘は無事いうことやないか!」
「四艘だったならそうじゃねえのかい。よかったじゃねえか、一艘は助かってさ」
 蟇五郎は泣き出した。
「助かったらあかんのや……五艘とも沈めなあかんのに……」
 蟇五郎は雀丸たちのところに戻ると、
「どないしょ。一艘沈まんかったみたいや。わしの決心はなんの意味もなかったんか……」
「そんなことはありませんよ。向こうの手に渡る武器が五分の一に減っただけでも蟇五郎さんがやったことに意味はあります」
「そやろか」
 蟇五郎はよろよろと歩き出した。ふたりの旅人は首をひねりながら西のほうに去っていった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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