よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第一話「通し矢と矢数俳諧」2

田中啓文Hirofumi Tanaka

     三

 早良伯耆守義明(さわらほうきのかみよしあき)は、三河国作手(みかわのくにつくで)一万五千石の小大名であり、大坂定番(じょうばん)として京橋口(きょうばしぐち)の警護を務めていた。当年三十八歳。大名にしてはさばけた人物であり、大の酒好きで、身分のある武士としては珍しく、料理屋などにみずから出向いて酒を飲むこともあった。もちろん身分を隠し、変名を使って、お忍びでの遊興である。その夜も、天王寺(てんのうじ)にある料理屋「浮瀬亭(うかぶせてい)」の二階の広間で、家臣たちとともに一献かたむけていた。店には大坂町奉行所の与力(よりき)とその配下、と伝えてある。
「ああ、美味(うま)い!」
 早良義明は、大黒柱を背に大盃(おおさかずき)になみなみと注(つ)がれた酒を飲み干した。
「さすがの飲みっぷり。我々にはとうていそうは飲めませぬな」
「殿のまえでは酒呑童子(しゅてんどうじ)や猩々(しょうじょう)も裸足(はだし)で逃げ出すのではございませぬか」
「われらも殿のおかげでかかる高名な店に来ることができ、よき目の保養、舌の保養になってございます」
 家臣たちのべんちゃらに気を良くして、義明は盃を重ねる。顔はすでに真っ赤で、熟柿(じゅくし)臭い息を吐いている。
「ふふふふ……ようわかっておるではないか。今宵はわしのおごりだが、おまえたちもいずれおのれの金でこの店に来られるようになれ」
 浮瀬亭は大坂一の料亭であり、多くの文人墨客が集まる店として名高く、松尾芭蕉(まつおばしょう)も亡くなるまえにここで句会を催している。
「いやあ、我々は何回生まれ変わってもそんな身にはなれますまい。まことに殿のおかげでございます」
「はっはっはっ、そうか。何回生まれ変わってもか。はっはっはっ……」
 上機嫌であるが、周りのものたちははらはらしながら義明の様子を見ていた。いたって好人物ではあるが、いささか酒乱の気があり、皆はそれをよく知っていたのだ。
「うーい……ところで山中(やまなか)」
 義明は、淡々と酒を飲んでいたひとりの男に話しかけた。山中というその人物は、義明が国表(くにおもて)から連れてきた家臣ではなく、大坂弓奉行付き同心である。弓奉行は大坂城内の弓矢を管理する務めであり、大坂鉄砲奉行、大坂具足奉行などとともに大坂定番の監督下にあった。
「その方も弓奉行付き同心を代々拝命する家柄なれば、かなりの弓取りであろう。流儀はなんだ」
「はい、日置(へき)流竹林(ちくりん)派に学びました」
「そうか、ならば太田原十内(おおたわらじゅうない)を存じおるか」
「もちろんです。かつて三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の通し矢で一万本のうち七千九百九十本を通したとか……」
「ふっふっふっ……存じておったか。太田原はわが早良家の家臣でのう、今は堂島(どうじま)の蔵屋敷の蔵役人を務めておるが、まだまだ腕は衰えてはおらぬはずだ」
 そらはじまった、と皆は思った。酔ってくると家臣自慢をするのが早良義明の癖であった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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