よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第二話「真白山の神隠し」

田中啓文Hirofumi Tanaka

     一

「ちょいと、かもさん」
 隠れ家の二階で熟寝していた鴎尻(かもめじり)の並四郎(なみしろう)は、女の声に起こされた。目を開けると、そこに座っていたのは船虫(ふなむし)だった。
「かもちゃん……かも兄さん……とうにお昼は過ぎてるよ。いくらなんでもそろそろ起きないとねえ」
「昼にいっぺん起きたのや。そのあと昼寝しとるとこやさかいほっといて。――おやすみなさい」
 そう言うとふたたび目を閉じ、すぐに寝息を立てはじめた。船虫は呆(あき)れたようにその寝顔を見ていたが、大きく息を吸うと、
「こらあ、かも公、起きな!」
 並四郎は手で両耳を塞ぎ、
「せっかくええ夢見てたのに、なんの用……あーっ!」
 がばと起き上がり、
「こらあ、船虫! おまえ、ようわてのまえにのうのうと顔出せたな!」
「なんの話だい?」
「とぼけるな! 三千両や! わてらの上前はねよって……返せ!」
「ああ、あれかい」
 船虫は横を向き、
「あれはねえ……もうないよ」
「なんやと? 嘘(うそ)つくな。あれからまだ七日しか経(た)ってへんやないか。どないして使(つこ)うたんや」
「使ったんじゃないのさ。使えなかったのさ」
「どういうことや」
「久々に大金が入ったから反物でも袋物でもかんざしでも櫛(くし)でも高いのを買いまくってやろうと思って、あたしゃ、まずは両替屋に行ったのさ」
 上方(かみがた)は銀(しろがね)遣いなので、小判はそのままではほぼ流通しない。大商人(おおあきんど)や大坂城代などの金蔵には千両箱が積まれていたが、それはあくまで保管用であって、外で使うには両替商で丁銀(ちょうぎん)や豆板(まめいた)銀と取り換えねばならない。
「あたしがまず、一両小判をそこの番頭に渡したら、そいつが妙な顔をしやがってさ……」
 番頭は船虫の風体をじろじろ見たあと、
「お客さん、この小判、どこで手に入れなはった?」
「なんだい? 小判の出どころを言わないと、この店じゃあ両替してくれないのかい? それともなにかね、その小判がなにか疑わしいとでも? だいたい両替屋なんてものはさ……」
 船虫がまくしたてると、
「お客さん、これ贋金(にせがね)だっせ」
「え……?」
 船虫は蒼(あお)くなった。
「うちでは扱えまへん。よそもおんなじだっしゃろな。贋金としてはわてら両替屋ならひと目でわかる粗悪な作りやが、とりあえずお上(かみ)に報(しら)せなあかんさかい、お客さんのお名前とお住まいを教えとくなはるか」
「あ、あの……あたしゃその……」
 そのとき、丁稚(でっち)が奥から、
「ご番頭さん、旦さんがお呼びだす」
 番頭は丁稚を振り返ると、
「今、手が離せんさかい……」
 と言いかけた隙に、
「店を飛び出して走りに走った、てわけさ。その夜のうちに、千両箱三つはこっそり大川(おおかわ)に捨てちまったけど、大金持ちのお大尽(だいじん)の気分からいきなり一文無しに逆落(さかお)としだよ。ええ、腹が立つ!」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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