よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」

田中啓文Hirofumi Tanaka

     一

 左右に立てられた太い蠟燭(ろうそく)の灯が、巨大な木彫りの恵比寿(えびす)と大黒(だいこく)の顔を照らしている。恵比寿、大黒といっても二体あるわけではない。顔の表側が恵比寿天で顔の裏側が大黒天、鯛(たい)のついた釣り竿(ざお)を持ち、米俵も踏まえている、という、一体で恵比寿天と大黒天両方を合わせた奇妙な彫刻である。けばけばしく塗り立てられているせいか、灯が揺れるたびに顔がてらてらと光り、福々しいというより不気味に思える。中央には立派な袈裟(けさ)を着た僧侶がひとり座しており、数珠を揉(も)み上げながら経文を唱えている。顔の形が、公家(くげ)が履く沓(くつ)の底のように縦に長細い。
 その後ろにはまだ少女といっていい、十三、四の町娘が畳に額をすりつけるようにしている。髪飾りや着物はいずれもひと目でわかる高価な代物で、よほどの大家(たいけ)の娘だろう。そのまた後ろの壁際には、手代(てだい)や丁稚(でっち)らしい若いものたちが、これまた蛙(かえる)のように平伏している。
「えべす……でえこく……ささもってこい……こめもってこい……おおん……おんおん……おん……がりき……ゆんば……れいれんば……うわああん……どわっはー……りろりろりろりん……りろりろりんりん……りろりろりん……」
 わけのわからない文言を唱えている僧の額からは汗が滴り落ちている。
「……なにとぞ……ここなる娘をあわれとおぼしめし……その願い……かなえ……たまえ……」
 つぎの瞬間、僧の全身がびくん! と硬直した。そして、
「ありがたやありがたや……さようでございますか。では、さっそく娘に伝えさせていただきます。ありがたやありがたや……」
 そして、娘に向き直ると、
「歌(うた)、と申したな。喜ぶがよい。『えべっこく』さまのご託宣があった。おまえの母親を助けてとらす、とのことだ」
 娘は顔を上げた。その両目からは涙があふれていた。
「えべっこくさまは気難しい神ゆえ、どれだけ金を積んでもお助けいただけぬことも多い。おまえの真心が通じたのだろう。ささ、えべっこくさまにお礼を申せ」
 娘は両手をすり合わせ、
「えべっこくさま……ありがとうございます!」
 後ろに並ぶ手代、丁稚たちもあわてて娘に倣(なら)った。
「そもそもおまえが淀屋(よどや)の娘であろうと、わが寺は檀家(だんか)でないものの参拝、祈願はお断りしておる。此度(こたび)のことは、あいだを取り持った小間物屋の北守屋五六兵衛(きたもりやごろべえ)なるものが日頃から檀家のなかでもことに信心篤(あつ)き奇特家で、そのものの頼みゆえの異例の措置。決してよそでしゃべってはなりませぬぞ」
「わかりました。決してしゃべりませぬ」
「ところで……あれは持ってこられたであろうな」
「はい……常吉(つねきち)」
 娘が後ろに控えている手代に声を掛けると、その手代と丁稚ふたりが廊下に出、千両箱を運び込んできた。僧はうなずき、
「よろしい。千両や二千両でひとの命が助かるのだから安いものだ。――では、たしかにちょうだいしたという証(あかし)にこれを……」
 僧はなにかを娘の手に渡し、娘はそれをありがたそうに押しいただいた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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