よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」2

田中啓文Hirofumi Tanaka

     三

 そのかもめの並四郎(なみしろう)はえべっこく寺の地下にある牢(ろう)のなかで寝そべっていた。身体(からだ)には無数の傷跡がついていた。両腕の肘から先にもっとも傷が多いのは、木刀などで叩(たた)かれるたびに顔を守っていたからだ。
(わてとしたことが……とんだしくじりや)
 あの日、並四郎は僧侶に化けて寺内に紛れ込み、天井裏に隠れるか縁の下に潜るかするつもりだった。ほかの僧になるべく近寄らないようにして境内をうろつき、あちこちを検分して作戦を練る。
(うん……これやったら縁の下の方が入りやすそうやな……)
 そんなことを思ったとき、本堂のなかからたいそうな袈裟(けさ)を着た五、六人の僧がぞろぞろと現れた。並四郎は、彼らに見られぬように近くにあった手水舎(てみずや)の柱の陰に隠れた。どの僧もひと癖もふた癖もありそうな、はっきり言えば僧侶というより破落戸(ごろつき)に近い顔立ちの連中である。
 いちばん先頭を歩いているのはえらそうにそっくり返った中年の僧だ。おそらく住職の唖面坊洞穴上人(あめんぼうどうけつしょうにん)という男だろう。しかし、その顔を見た並四郎はびっくり仰天した。
(こ、こいつは……「沓底〈くつぞこ〉の伝三〈でんぞう〉」やないか!)
 昔、一度だけ会ったことのある盗人(ぬすっと)である。
(修業時代、駿府〈すんぷ〉の駒吉〈こまきち〉親方のところで見かけたことあるわ……。この公家〈くげ〉の履く沓の底みたいな縦長の顔……間違いない。まさか、盗人が改心して坊さんになったのやないやろな……)
 そして、その後ろにいた男に目を移した並四郎は声を上げそうになった。
(「歯抜けの秀〈ひで〉」や!)
 秀は、名うての道中師である。旅人に言葉巧みに近づいては金を巻き上げる。しかも、秀の後ろにいる僧は、「強欲甚助(ごうよくじんすけ)」という掏摸(ちぼ)上がりの盗人で、
(あいつは伊藤顔面斎〈いとうがんめんさい〉先生のところにしばらくおったやつや。うわあ……こいつらみんな坊主やのうて悪党ばっかりやないか。なんちゅう寺や……)
 そして、そのとき並四郎はとんでもないことに気づいてしまった。淀屋(よどや)にいた小間物屋の北守屋五六兵衛(きたもりやごろべえ)の正体である。
(お、思い出したで! あいつ……「イモリの五六蔵〈ごろぞう〉」や!)
 イモリの五六蔵というのはいかがわしい薬を高い値段で客に売りつけ、金をぼったくる悪徳薬屋である。イモリの黒焼き(惚〈ほ〉れ薬)のようななんの効果もない薬ばかりではなく、ときには毒薬や眠り薬を扱うこともあり、道修町(どしょうまち)のまともな薬種問屋からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていた。
(処払〈ところばら〉いになった、と聞いたが、あんなところに潜んでたんか……)
 これで、えべっこく寺がろくでもない寺であることは疑う余地がなくなった。なにかあくどい金儲(かねもう)けを企んでいるに違いない。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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