よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

     五

「貴様はかもめ小僧と呼ばれておる盗賊だな。まことの名はなんと申す」
 与左衛門町(よざえもんちょう)の牢(ろう)屋敷のなか、玄関を入ってすぐのところにある穿鑿所(せんさくじょ)で、若い男に向かって吟味役与力(よりき)藤原金太夫(ふじわらきんだゆう)が言った。牢屋敷詰合役白川一郎兵衛(しらかわいちろべえ)と盗賊吟味役滝沢鬼右衛門(たきざわおにえもん)も立ち会っている。しかし、男は答えない。
「今一度たずねる。かもめ小僧というのは盗人(ぬすっと)としてのあだ名であろう。まことの名を申せ」
「わしは……かもめ小僧やおまへん」
 男はぼそりと言った。滝沢鬼右衛門はカッとして、
「この期におよんでしらを切るつもりか! えべっこく寺の松の木の根もとにて盗み出した千両箱とともに気絶していたのがなによりの証拠。そのうえ、貴様は同心が『おまえはかもめ小僧なのか?』とたずねたとき、はっきりとうなずいたではないか」
「あのときは頭を打ってぼーっとしてましたんや。わしはかもめ小僧やないんだす。かもめ小僧が千両箱を盗んださかい、それを追いかけて、取り返そうとしたら、頭をどつかれたんだすわ」
「嘘(うそ)をつけ! 往生際が悪いぞ。かもめ小僧というのはそんなやつだったのか。わしはもっと……貴様のことを敵ながら天晴(あっぱ)れな賊だと考えていたが、それはわしの買い被りだったのか」
 鬼右衛門は胸ぐらをつかんで男を揺さぶった。しかし、男は黙ったままだ。鬼右衛門は男を床に叩(たた)きつけるようにして放すと、
「お頭(かしら)に責めのお許しをもろうてきてくれ」
 藤原にそう言った。牢屋敷における拷問には、本来は老中の許しが必要であるが、大坂から江戸までの伝達には非常に日数(ひかず)がかかる。それゆえ鞭(むち)打ちや石抱き程度の責めは日常的に行われていた。自白を促すためであるから、町奉行も黙認していたのだ。藤原金太夫が、
「まあ、待たれよ。まずはえべっこく寺より寺社奉行を通して町奉行所に千両箱を盗まれたが未遂に終わった旨の訴え出がなければ、正式な吟味は始められぬ。えべっこく寺の住職に訴状を出すように言うてもらいたい。とりあえず今日はここまでにして、このものを牢に入れよう」
 鬼右衛門は少し考えていたが、
「いや……ご両所にたっての頼みがある。牢に放り込むまえに、この穿鑿所でしばらくのあいだわしとこの男とふたりきりにしてもらいたい」
「なにゆえだ」
「わしは長年、かもめ小僧召し捕りに執心してきた。思えばたいへんな苦労につぐ苦労であった。それがやっと果たせ、こやつの顔をはじめて見ることができた今、わしはこやつとじっくり話し合ってみたくなったのだ。追うものと追われるもの、召し捕るものと召し捕られるもののあいだにいつのまにか心が通っていたような気がしていた。しかし、今この男を間近で見ていると、それはわしの勘違いだったのか、とも思えてきた。こやつがこれまでに行ってきた盗みの数々についていろいろ話すことで、こやつが心を開くかもしれぬと思う。どうせ死罪は免れぬのだ……」
 藤原と白川は顔を見合わせた。藤原が、
「もし、お頭に知れたら、われらも処罰されるかもしれぬが……」
「頼む。このとおりだ」
 鬼右衛門は頭を下げた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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