よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「――わかり申した。滝沢殿にこのものお任せいたそう。ただし、一刻(とき)だけでござるぞ。囚人を牢に入れぬのは規則に反しますからな」
「それと、穿鑿所からは出ぬことだ。よろしいかな」
「かたじけない」
 鬼右衛門はもう一度頭を下げた。藤原と白川は牢屋敷を出、西町奉行所へと戻っていった。鬼右衛門は男に向き直り、
「これでふたりだけだ。――かもめ小僧、おまえはどうせ磔(はりつけ)獄門になるのだ。腹を割って話そうではないか。酒でもあればよいが、牢屋敷ではそういうわけにもまいらぬ」
「…………」
「おまえはこれまで町奉行所をあざ笑うような真似(まね)を続けてきたが、その驕(おご)りが命取りになったな。猿も木から落ちるのたとえどおり、ついにこういうことになった。だが、わしは素直に喜べぬ。人生の張り合いがなくなってしまったような気になってな……」
「あの……お役人さま、わしはほんまにかもめ小僧やあらへんのだす」
 鬼右衛門はため息をつき、
「まだ嘘八百を申すか……。おまえにはがっかりだ。わしはおまえとはどこか心がつながっていると思うていたが……」
「嘘八百やおまへん。まことのことを申しとります。わしが盗人やったのは昔のことだすが、生来の博打(ばくち)好きで、あちこちの賭場に具合の悪い借金があるうえ、商いをしくじって一文無しのからっけつ。酒癖が悪いさかい、嫁はんとこどもも愛想をつかして出ていきよった。そのうえ貸元に、金を返せなんだら簀巻(すま)きにして大川(おおかわ)へ放り込む、と脅されて踏んだり蹴ったり。ツキをもらおうとえべっこく寺にお詣(まい)りしたとき、なんや見たことのあるような顔ばかりやな、とようよう見たら、あそこの寺の坊主どもは皆、盗人だすのや」
「そんな馬鹿なことがあるものか。助かりたい一心からであろうが、僧職にあるものを盗人呼ばわりはよろしくない」
「ほんまだすて。こんな連中が集めたお布施やったら盗んだかてかまへんやろ、と思て、かもめ小僧の名を騙(かた)って予告状を出しましたんや。じつはかもめ小僧はわしの兄弟子に当たりますのやが、名高いかもめ小僧の名を使うたらきっと大騒ぎになるさかい、そのどさくさに盗んだろと思いましたのや。けど……あきまへんなあ。昔取った杵柄(きねづか)と思たけど、重い千両箱を持って木から落ちてしもた。へへへ……わし、もともと高いとこが苦手で、それで盗人から足洗(あろ)うたんだすわ」
「お、おい、おまえ……まことにかもめ小僧ではないのか」
「さっきからずっと言うとりますがな。かもめ小僧やない、て。わしは、むじなの十三吉(とみきち)というもんだす」
 鬼右衛門の顔色が変わった。
「これはえらいことだぞ。やっとかもめ小僧を召し捕ったと思ったらひと違いでした……ではすまぬ。西町奉行所はじまって以来の失態になる。うわわわわわ……どうしたものか……」
「どうしたもんだっしゃろなあ」
「他人事(ひとごと)のように申すな! すべておまえのせいではないか!」
「えらいすんまへん」
「謝ってももう遅い。どうせおまえも千両盗んだ罪で磔だ」
「ええっ? そら殺生だっせ。わしは盗んだわけやない。未遂だすがな」
「知るか! おまえのことより、わしの今後が心配だ……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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