よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 そのとき、牢屋敷の門の方から無数の太鼓を乱打しているような騒々しい音が聞こえてきた。
「待てっ! 待たぬか!」
「こらあっ、ここは牢屋敷だぞ!」
 門番らしきものたちの叫び声も聞こえる。そして、馬のいななくような声も……。
「馬……? まさか……」
 鬼右衛門が立ち上がろうとしたとき、なにかが玄関から猛烈な勢いで飛び込んできた。それは一頭の馬で、何十個もの瓢箪(ひょうたん)を紐(ひも)で引きずっている。それがガラガラガラガラ……とけたたましい音を立てまくるのだ。馬は、鬼右衛門のまえで棹立(さおだ)ちになった。
「うひゃああっ」
 鬼右衛門は尻もちをつき、前脚の蹄(ひづめ)で蹴られるのを避けようと顔を腕でかばった。手綱を持っているのは船虫(ふなむし)だ。その後ろには覆面に顔を包んだ左母二郎(さもじろう)が船虫の腰を抱くようにして座っている。左母二郎はひらりと馬から飛び降りると、身体(からだ)を沈め、刀を鞘走(さやばし)らせた。居合いである。鬼右衛門の帯、着物などがただ一太刀で断ち切られ、鬼右衛門は下帯だけの姿となった。左母二郎はそこにいた男を抱え上げて馬に乗せた。
「行くよーっ!」
 船虫は見事な手綱さばきで馬の向きを変え、玄関から外に走り出た。左母二郎は、なにが起きたかわからずにいる滝沢鬼右衛門を尻目に、馬を追って門の方に向かった。ふたりの門番が棒を持って馬に打ちかかるのを、左母二郎は一瞬の早業でその鳩尾(みぞおち)を突き、昏倒(こんとう)させた。返す一刀で馬に結びつけられた瓢箪の紐を残らず切り離し、本町橋(ほんまちばし)を渡ったところで馬を捨てた。東横堀(ひがしよこぼり)の土手を下りると、そこには小舟が待っていた。笠(かさ)を目深にかぶった船頭は馬加大記(まくわりだいき)である。
「うまく行ったようだな」
「なんとかな」
 舟は岸を離れ、南の方角へと向かった。
「ひいっ、汗だくだぜ」
 覆面を脱いだ左母二郎は手ぬぐいで汗をぬぐうと、
「さあ、かもめ、いろいろ聞かせてもらおうか。こんな大ドジ踏んだわけをな」
 言いながらひょいと男の顔を見て、
「おい……おめえ、かもめじゃねえな」
 その男の顔に、左母二郎は見覚えがあった。
「おめえ……えべっこく寺の寺男じゃねえか!」
「へ、あんさんとは一度お目にかかりましたなあ」
「どうなってるんだ……」
 左母二郎たちは混乱した。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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