よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka


「なに? おまえはかもめ小僧ではない、と言うのか!」
 えべっこく寺の一室で、唖面坊洞穴上人(あめんぼうどうけつしょうにん)こと沓底(くつぞこ)の伝三(でんぞう)が怒鳴った。
「へえ……そうだすねん。この話、何べんせなあかんのやろなあ……。わしは、むじなの十三吉ゆう元盗人で、金に困ったあげく、かもめ小僧の名を騙ってこの寺へ予告状を送ったんでおます」
 強欲甚助(ごうよくじんすけ)が、
「むじなの十三吉やと? 嘘をつけ。わしの知ってる十三吉はそんな顔やなかったぞ」
「これは七方出で顔を変えとるさかいや。ほら、見ててや……」
 十三吉がちょっと顔をいじり、化粧を落とし、含み綿を吐き出すと、まるで別人になってしまった。一同は瞠目(どうもく)した。甚助が、
「十三吉、わしや。強欲甚助や。覚えてるか?」
「ああ、覚えとるで。あんたがこいつらの仲間になっとるとはなあ……」
 沓底の伝三が、
「おまえもかもめ小僧に負けず劣らず、変装は得意のようだな」
「いやあ……かもめの兄さんには遠く及びまへんわ」
「おまえに頼みがあるのだが、きいてもらえるか」
「それは頼みやのうて脅しだすがな……」
 そのあと伝三が話した「頼みごと」の内容を聞いたむじなの十三吉はがくがくと震え出した。
「やらぬと言うなら、おまえの命はないものと思え」
 十三吉はしばらく考えていたが、
「わかりました。わしも、そろそろ昔に戻って、太く短く生きようと思てたところだす。その大役、お引き受けしまひょ」

「ひーくしっ! ひーくしっ! ひーくしっ!」
 船虫が三回続けてくしゃみをした。火鉢がないので三人でカンテキの周りに集まってしゃがみ、着物を乾かしているのだ。
「あの重岩って野郎、今度あったらただじゃおかねえ」
 左母二郎が鼻水を啜(すす)りながらそう言った。
「寒い、寒い、風邪(かぜ)をひいてしまうわい」
 馬加大記の唇は紫色だ。船虫が、
「医者が風邪ひいちゃ話にならないだろ? こういうときはどんな薬を飲めばいいんだい?」
「薬? そんなものあてになるか。こういうときは身体のなかから暖を取らねばならぬ」
「というと?」
「酒だ。酒はないのか」
「ねえよ。昨日の晩、あるだけ飲んじまった」
 そのとき、隠れ家の入り口が開いた。三人はびくっとして身構えたが、船虫がすぐに、
「なーんだ、丶大法師(ちゅだいほうし)に現八(げんぱち)かい。脅かすんじゃないよ」
 丶大法師が、
「どうした、お三方。ずぶ濡(ぬ)れではないか」
 左母二郎が、
「話せば長えんだ」
「では、これでも飲みながら聞こうではないか」
 そう言って丶大法師が差し出したのは一升徳利が二本だった。馬加大記が身を乗り出し、
「これこそわしが今一番欲しているものだ。ありがたい!」
 五人は、土間から板の間へ上がった。馬加が湯呑(ゆの)みを並べ、酒を注(つ)いだ。
丶大法師が、
「並四郎(なみしろう)が捕えられたと聞いて、あわててやってきたのだ。どういうことだ?」
 左母二郎がことの次第を話した。
「では、まことのかもめ小僧はどこにおるかわからんのだな」
「俺の読みじゃあ、あのえべっこく寺のどこかにいると思うんだが……」
 現八が湯呑みを干し、
「よし、やるか!」
「手伝ってくれるのか」
「乗りかかった舟だ。しまいまでやらんと気が収まらぬ」
 左母二郎は苦笑いして、
「いや……舟はもうたくさんなんだ」
 丶大法師は、
「そういえば、聞いたか?」
「なにを?」
 法師は眉根を寄せ、低い声で言った。
「淀屋辰五郎(よどやたつごろう)がかどわかされたそうだ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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