よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka


 すきっ腹を抱えた鴎尻(かもめじり)の並四郎が牢のなかでごろ寝していると、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。見ると、ふたりの僧がぼろぼろの着物を着たひとりの中年男を連れている。
「ここに入っとれ! よいか、逃げようなどという考えを持たば、おまえの嫁やこどもがどうなるか……わかっておろうな」
 しかし、中年男はもはや答える気力もないようで、おとなしく並四郎の隣の牢に入ると、ため息をついて壁にもたれかかった。牢に鍵をかけた僧に、
「おーい、わてのこともちょっとはかもてんか。かもめ小僧の予告状の件はどないなったんや」
 僧たちは顔を見合わせ、
「おまえには関わりのないことだ。知らずともよい」
「そう言わんと。教えてえな」
 僧たちは答えず、ふたたび上がっていこうとしたので、
「わての飯、忘れてへんか? 腹減ってしゃあないねん。なんぼ拷問してもええから、飯食わしてえな」
「今はそれどころではないのだ」
「なんで?」
「言えるか!」
「それやったら、そろそろわてを解き放ってくれ。もう、わてのことなんかどうでもええのやろ」
「そうではない。おまえの責めは、この一件が片付いてからゆっくり行う、と頭が申しておられた」
 ふたりの僧は地下から出ていった。
「ほんまにもう……」
 ぶつぶつ言いながら並四郎はひょいと隣の牢を見た。中年男は、ぐったりと壁にもたれている。その顔を見て、
「あ、あ、あ、あんたは……!」
 男はうっすら目を開けた。
「わしのこと、知ってはりますのか」
「あんた、淀辰……淀屋辰五郎さんやないか」
「そのとおりだす。根っからお見受けせんお方だすけど、どこぞでお目にかかりましたかいな」
「へへへへ……その、天井裏からちょっとな」
「はあ……? それに、あちこちえろう怪我(けが)してはるけど……。顔も腫れ上がってるし、血の塊がこびりついてますがな……」
「その、拷問をちょっとな。――いや、そんなことはどうでもええねん。なんであんたがこんな牢に入れられたのや」
「わしにもようわかりまへん。うちに出入りしとる北守屋五六兵衛(きたもりやごろべえ)という小間物屋がわしの家内に毒を盛ってた、とわかったさかい、訴状を書いて、町役とともにお上に訴え出ようと家を出たら、途中で六、七人の破落戸(ごろつき)に囲まれましてな、わしひとりだけが駕籠(かご)に押し込められ、ここへ連れてこられた……というわけだすのや。すぐに身ぐるみ剥がれて、こんな汚らしい着物を着せられました。なんでかわからんけど、なかのひとりに顔をじーっと見られて気持ち悪かったけど……いったいぜんたい、ここはどこだすか」
「ここは、えべっこく寺ゆうお寺の地下牢や」
「えっ、えべっこく寺……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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