よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 歌が、
「それやったら、やっぱりえべっこくさんはインチキやのうて、霊験あらたかなんやろか……」
 菊も、
「北守屋のことを疑(うたご)うて悪いことしましたかいな。もしかしたらあの馬加とかいうお医者の先生の方こそ悪もんやったのかも……」
 淀屋辰五郎は、
「そやな。北守屋にはまた出入りしてもらうとしよか。――だれぞを町奉行所に走らせて、わしが無事に戻ったことを報せとくれ。それとな、わしは此度(こたび)のことで深く反省した」
「なにをだす?」
「えべっこくさまをちらとでも疑うたことを、や。わしは、えべっこく寺の檀家になることにした」
 一同は仰天した。
「おまえたちが驚くのももっともやが、まずは二万両ばかりを寄進して、あのならず者どもから救うてくれたことのご恩返しをしたい。その後も、檀家としてどんどん寄進させていただくで」
「旦さん、あまりお布施にお金を使い過ぎたら、うちの身代が……」
「アホ言うな。淀屋橋というあの大きな橋を私財を投じて架けた淀屋や。二万両、三万両でぐらつくような身代やないわい」
「そらまあそうだすけど……」
 この家において辰五郎に反対できるものはいない。
「ほな、番頭。おまえがえべっこく寺へ行って、わしが檀家になる、という旨伝えてきてくれ。ええな」
「へ、へえ……」
 こうして淀屋辰五郎はえべっこく寺の檀家になった。同時に、えべっこく寺から洞穴上人を筆頭に数十人の僧が淀屋にやってきた。
「これはこれはお上人さま、ようこそお越しくださりました。もう二度とえべっこくさま以外の神仏は敬わぬ覚悟でおます」
 大広間で彼らを迎えた辰五郎は、上人のまえに両手を突いた。その後ろには菊や歌、番頭以下奉公人たちがずらりと並んでいる。ここは「淀屋の夏座敷」といって、天井や壁にギヤマンの水槽をはめ込み、そこに金魚を泳がせるという趣向がほどこされていた。
「うむ。おまえの翻意、わしもうれしく思うぞ。その信心の気持ちを忘れるでない」
「へへーっ」
 辰五郎は平伏し、
「なにをしておる。皆さま方をもてなさぬか!」
 奉公人たちは、「浮瀬(うかむせ)」をはじめ一流の料理屋から取り寄せた山海の珍味と酒を運び込んだ。番頭が辰五郎に、
「お坊さま方だすのに、魚や酒をお出ししてもかまいまへんのか」
「かまへんかまへん。えべっさんを見てみ。鯛(たい)を釣っとるやないか」
「はあ……」
「さあ、歌と菊、おまえたちも皆さんにお酌をしてさしあげるのや。気の利かんやつらやな」
 母子は、ひとが違ったような辰五郎の態度にとまどっていたが、しかたなく洞穴上人の横に座って酒を注いだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number