よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「うむ、さすがによい味だ。甘露甘露」
 坊主たちは上機嫌である。肴(さかな)をむしゃむしゃと食い、酒をがぶがぶと飲み、すぐに酔っぱらって茹(ゆ)でダコのように真っ赤になった。もろ肌脱ぎになって踊り出す僧もいる。座敷が大乱れに乱れはじめた。洞穴上人は酌をしている歌の腕を摑(つか)んで撫(な)でさすったり、顔を押し付けたりした。
「やめとくなはれ」
 歌は上人の腕を振り払うと、母親のところに逃げ出した。洞穴上人は辰五郎に、
「ふっふっふ……嫌われたか。だが、焦ることはない。これからいくらでも料理はできよう。愉快だのう。これもえべっこくさまのご利益だ。――辰五郎、一杯飲むがよい」
「え? 私にもお流れをちょうだいできますのか。ほな、飲ませてもらいます」
 辰五郎は大き目の盃(さかずき)から酒をきゅーっと飲んだ。
「えべっこく寺の檀家にしていただき、胸のつかえが下りたような思いだす」
「これからよろしく頼むぞ」
「へえ、この淀屋辰五郎、精いっぱいのことはさせていただきます」
 やがて、辰五郎は中座して、厠(かわや)へ立った。用を済ませ、厠から廊下に出たとき、後ろからだれかがついてくる気配を感じて振り返ると、それは歌だった。
「お父はん……」
「どないしたんや、歌」
 歌は辰五郎をじっとにらみつけると、
「あんたはお父はんやない。お父はんに化けただれかや」
 辰五郎はしばらく薄笑いを浮かべてたたずんでいたが、
「なんでわかったのや」
「顔も声も、着物もなにもかもそっくりや。けど……お父はんはお酒飲まれへんのや。一滴なめただけで顔が赤くなる。盃に一杯なんかとても飲めるはずがない」
「はははは……そうか、そこまで気が回らんかったわ。これは困ったな。こんなに早う見破られると……わての七方出もまだまだや」
 辰五郎の声ががらりと変わった。
「わても、娘と嫁はんを殺す、て脅されてこんなことやってんねん。悪う思わんといてや」
 そして、するすると歌に近寄ってきた。逃げ出そうとして後ろを向くと、そこに立っていたのは北守屋五六兵衛だった。
「嬢(とう)さん、どちらに行きなはるのや」
 悲鳴を上げようとした歌の口を左手で塞ぎながら、北守屋は右の拳を鳩尾に突き入れた。歌は気絶し、廊下にぐったりと横たわった。辰五郎は広間に戻ると、ひそかに重岩を手招きして、
「運んでほしいものがあるのや」
 そうささやいた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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