よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 五六蔵は壁に立てかけてあった槍(やり)を摑むと、並四郎に向かって突き出した。並四郎は体をかわしながらその槍を蹴り上げ、槍の穂先が天井を向いた隙にするすると近づいて五六蔵に平手打ちをかました。
「アホやなあ、こんな狭い地下で長い槍なんか振り回して……素人(しろうと)は素人ゆうことや」
「なんやと……!」
 五六蔵は槍を捨てて匕首を抜いた。頭に血が上っている五六蔵がしゃにむに斬りかかってくるのを右に左に受け流す。しかし、並四郎は自分が長いあいだ拷問を受けていたうえ、空腹でふらふらだったことを忘れていた。次第に脚が重くなり、眩暈(めまい)がしてきた。そこへ、重岩が左肩から血を流しながらも算盤(そろばん)責めに使う大きな石板を頭のうえまで持ち上げて襲い掛かってきた。
「こやつ、この石板で頭をかち割ってくれる!」
「やめろ……やめなさいって、そんな乱暴なこ……あ、ヤバい」
 凶暴な獣のような重岩の暴れっぷりに押されて、並四郎は壁際に追い詰められた。五六蔵が歌の牢の鍵を開けてなかに入り、歌の喉に匕首を突き付けると、
「娘の命が惜しかったらその刃物を捨てんかい!」
「しゃあないなあ……」
 並四郎は苦笑しながら懐剣を床に落とした。
「素直やなあ。――さあ、どいつからいてこましたろか」
 三人に順番に視線を送っていたが、やがて、並四郎に目を止め、
「やっぱりおのれや。――覚悟せえ!」
 と匕首を振りかざした。その途端、
「痛てててっ!」
 歌が五六蔵の腕に嚙(か)みついたのだ。
「放さんかい、この女(あま)!」
 五六蔵は歌を蹴り上げた。並四郎が、
「やめろ! やめてくれ! わてはおとなしゅうするさかい、その子に乱暴な真似はせんとってくれ」
 そう言うと、床に大の字になって仰向けに寝転がった。
「ほほう、ほなお望みどおりおまえから殺したる。重岩、こいつの脚を押さえとけよ」
「ま、待ってくれ、五六蔵どん」
 そう言ったのは重岩だった。肩からの出血はますますひどくなっていて、あたりは血の海のようになっている。
「このままではわしは……死んでしまう。医者を呼んでくれ」
 五六蔵は舌打ちをして、
「だれも寺のなかに入れるな、て頭が言うてはったやろ。医者に診てほしかったら自分で行け。わてはここを離れられん」
「そ、そうか……」
 重岩は肩を押さえ、ぶるぶる震えながら地上への階段を上っていった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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