よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 皆は地上への階段を駆け上った。山門の方に向かおうとする左母二郎たちに、並四郎が言った。
「ちょっとだけ待ってくれ。ひと仕事したいんや。すぐにすむ」
「そんなふらふらしてるのに大丈夫かよ」
「ああ、盗人としてけじめをつけなあかんのや」
 並四郎は低い声でそう言った。
「そうけえ。じゃあ、止めねえ。――俺もやりてえことがあるんだ。淀屋さんとお嬢さんにもついてきてもらおうかな」
 皆は本堂に入った。左母二郎は提灯を掲げた。その灯りのなかにえべっこくさまの奇怪な影が浮かび上がった。
「とんだはりぼてだぜ。くだらねえものをこしらえやがって……」
 歌が、
「こんなものをありがたがっていたのが恥ずかしゅうおます」
 左母二郎は身体を低く沈めたかと思うと、大きく跳躍しながら空中で刀を抜き払った。えべっこくさまの首が床に落ち、ごろごろと転がった。
「ちっ……図体(ずうたい)はでけえが、中身はからっぽだ。――行くか」
 左母二郎は刀を鞘(さや)に収めると、先に立って本堂を出た。ちょうどそこに千両箱を抱えた並四郎もやってきた。
「なかを検(あらた)めたら、かなり目減りしてるわ。三百両ほどしか残ってない。――この金は淀屋の嬢(とう)やんがお布施として持ってきたもんやけど、今はあの連中のもんや。わてがもろてもかまへんわな」
 辰五郎が、
「へえ。わての手を離れた金だす。盗(と)るなとほかすなと好きにしなはれ」
 皆が笑いながら山門に着くと、そこには馬加大記と重岩が待っていた。重岩は馬加の治療によって多少は回復したらしく、その場に両手を突き、涙を流しながら、
「わしは目が覚めた。おまはんらにひどい仕打ちをしたわしを救うてくれるとは……おまはんらは神か仏だ。それに引き比べておのれが情けない。あんなやつを首領と仰いでいたのが恥ずかしいわい」
 重岩は並四郎のまえに土下座をして、
「おまえには、八つ裂きにされても仕方ないことをした。どうかおまえの刀でわしの首を落としてくれ。頼む……」
「へへへ……あんたの拷問は堪(こた)えたけどな、みんなそれぞれいろいろあって、いろいろあって、いろいろあって……なんとか生きとんのや。気にすんな」
 重岩は号泣しはじめた。
「おごおおおおーっ、おごおーっ」
「やかましいな、あんたは……」
「おごおおーっ、わしを許してくれるのか!」
 鼻水を垂らしながら獣のように嗚咽(おえつ)する重岩に、
「もう夜やさかい、静かにしとき。ほな、わてらは行くさかい……」
 まだ啜(すす)り泣いている重岩を置いて七人はその場を離れた。道を急ぎながら淀屋辰五郎が左母二郎に、
「もしかすると役に立つことがあるかもしれまへんさかい、言うときますわ。淀屋橋というあの橋はうちの先祖が自費で架けたもんだすけど、代々家長に伝わる秘伝がおましてな……」
 そして、左母二郎にあることを告げた。
「ほう……そいつぁ使えるかもしれねえな」
 左母二郎はにやりと笑った。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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