よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka


 淀屋の座敷は乱れに乱れていた。坊主たちの多くは泥酔して障子や襖(ふすま)を壊したり、いびきをかいて眠っていたり、畳のうえに反吐(へど)をついていたり……と傍若無人なふるまいをしていた。しかし、淀屋辰五郎と洞穴上人はいまだ座布団のうえで酒を飲んでいる。勝利の美酒をできるだけ長く味わっていたい、ということかもしれない。菊が辰五郎に、
「あんた……さっきから歌がいてまへんのや。どこに行きましたのやろか」
「放っとけ。あいつもいつまでもこどもやない。こういう宴席が気に入らんのやろ」
「けど……」
「やかましいな、おまえは。酒が不味(まず)うなるさかい向こうに行け」
 部屋の隅の方では番頭はじめ奉公人たちがびくびくしながらなりゆきを見つめている。
「旦さんはどないしたんやろ」
「お酒なんか一滴も飲みはらへんかったのに……」
「あんな大きな盃でぐびぐびと……」
「それに、ご寮(りょん)さんやわてらに無茶なことばっかり言わはるし……」
 ため息をつく奉公人たちを尻目に淀屋辰五郎と洞穴上人は酒を飲み続けている。そのとき、後ろの襖が開き、北守屋五六兵衛ことイモリの五六蔵が走り込んできた。
「頭、えらいことだっせ!」
 洞穴上人は声をひそめて、
「馬鹿もの! 頭と呼ぶな。お上人さまと言わぬか」
「それどころやおまへん。淀辰と娘、それにあの公儀隠密みたいなやつに逃げられました。たぶん、ここへ来まっせ」
「なに? それはいかん。こやつが偽ものだとバレてしまう。この座敷に入るまえに見つけて殺してしまえ」
 その言葉が終わらぬうちに、廊下から入ってきたのは……。
「だ、旦さん!」
 番頭が声を上げた。それは淀屋辰五郎そのひとだったのだ。
「旦さんがふたり……どないなっとるんや」
「番頭、だまされるな。そいつは偽ものや」
「ちがう。わしが本もの。そいつこそ偽ものや」
 菊がおろおろと、
「どっちがどっちか、私にも見分けがつかんわ」
「アホか。着物をよう見い。わしがあんなボロボロの着物を着るか!」
「おまえが着てるのはわしから剥ぎ取ったもんやないか!」
 歌が、
「お母はん、こっちのボロボロの方がほんまのお父はんだっせ!」
 淀屋辰五郎と淀屋辰五郎は座敷の真ん中で取っ組み合いの大喧嘩(おおげんか)をはじめた。そこへ、
「待て待て! その喧嘩、わしが預かった!」
 そう言いながら入ってきたのが……。
「うわあ、またひとり旦さんが増えたがな!」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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