よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第三話「三人淀屋」3

田中啓文Hirofumi Tanaka


 西町奉行所の捕り方たちは、淀屋に到着した。滝沢鬼右衛門が店に乗り込み、
「辰五郎はおるか」
 出てきた本ものの辰五郎に、
「投げ文があった。えべっこく寺の坊主どもはおるか。ひとり残らず召し捕ってやる!」
「それが、たった今出ていったところでおます」
「しまった。逃げられたか……」
「なんでも、水戸さまの蔵屋敷に向かうとか申しているのを小耳に挟みました」
「くそっ……そうなっては町方には手も足も出せぬ。もう間に合わぬか……」
 地団駄を踏んで悔しがる鬼右衛門に辰五郎が、
「あの……お役人さま、ご相談がございます」
「なんだ、早う申せ」
「あの淀屋橋という橋には秘密がおまして……」
 そのあと辰五郎が話したことを聞いて鬼右衛門は目を倍ほどに開き、
「そりゃまことか」
「へえ。代々の秘伝でおます」
「うむ……ならば早速やってみよう。――船を手配しろ!」
 鬼右衛門は同心の若部十郎太(わかべじゅうろうた)にそう言ったが、辰五郎が、
「船ならうちの船を使(つこ)うとくなはれ。何十艘(そう)でもすぐに支度できまっせ」
「至れり尽くせりだな」
 鬼右衛門は感心したように言った。

 その頃、沓底の伝三たち数十人の坊主はちょうど淀屋橋の南詰に差し掛かっていた。
「これを渡れば逃げ切れるぞ。皆、急げ!」
 夜の土佐堀川にどたどたという足音が響き渡った。
「ふふん……来やがったぜ」
 左母二郎たちは、橋のすぐ近くの木の後ろからその様子を眺めていた。そこへ淀屋辰五郎がやってきた。
「おめえは本ものだな。――で、どうだった?」
「お役人衆は船に乗られました」
「俺たちも、アレを撒(ま)いたぜ」
「ほな、やりまっせ」
 辰五郎が右手を上げると、橋のたもとに待機していた屈強な男ふたりが斧(おの)を振り上げ、橋桁の一部を叩き壊した。
「頑丈そうな橋じゃねえか。たった二カ所壊したぐらいじゃなにも起こるめえ」
「よう見といとくなはれ」
 まもなく橋脚が小刻みに振動しはじめた。その振動はたちまち橋全体に広がり、かつ、次第に大きくなっていった。
「な、な、なんだ?」
「橋が……揺れてる!」
 坊主たちは立っていられずしゃがみ込んだり、欄干にしがみついたりしたが、振動はますます激しくなり、ついには橋板の一部が崩落しはじめた。メキメキという音とともに欄干や橋脚に亀裂が走る。
「あ、あかん……橋が……落ちる!」
「逃げろ!」
 逃げようにも、動くことができないほどの揺れなのだ。そして、橋脚が何本も折れ、橋全体が南側に大きく傾いた。橋板もほとんどが落下し、僧たちも土佐堀川へと墜落していった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number