よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」

田中啓文Hirofumi Tanaka

     一

 年の瀬である。ふだんは呑気(のんき)に暮らしている大坂の町人たちも、大晦日(おおみそか)が近づいてくると焦りはじめる。一年間、溜(た)めに溜めた「掛け」を支払わねばならないからだ。醬油(しょうゆ)でも酒でも米でも味噌(みそ)でも、生活に必要なものはツケで買い、代金は帳面につけておき、盆と暮れにまとめて支払うのだ。いわゆる「節季(せっき)払い」だが、盆はまだ、
「金がない」
 と言えば待ってくれる。しかし、「大節季」である大晦日はそうはいかない。この日に取りはぐれると店側はつぎの盆まで待たねばならないのだ。だから、一日中丁稚(でっち)たちが大坂を走り回って取り立てることになる。居留守を使おうと、泣いても拝んでも脅してもダメだ。丁稚たちも必死なのである。集金できずに店に帰ろうものなら、番頭にどやされる。飯抜きにされる。蔵に放り込まれる。藪入(やぶい)りに家に帰してもらえない。だから、金がないときは着物でも布団でも畳でも引っ剥(ぱ)がして持っていってしまう。この寒い折に着物がないと年が越せないから、どこかで金を借りて払うしかない。得意先、出入り先、家主、裕福な友人……などであるが、これがなかなか貸してくれないので、皆は借金の算段に大坂中を走り回ることになる。
「そこのおっさん、どいてんか! わて、急いどるのや」
「わしも急いどるのや。おまえがどかんかい」
「あっ、あんた、大工の藤助(とうすけ)はんやな。ええとこで会(お)うた。ここで会うたが百年目や。ツケ、耳をそろえて払(はろ)てもらおか」
「しもた。酒屋の丁稚や。払いたいけど手元不如意や。また今度な」
「あかん。行ったらあかん」
「こらこら、しがみつくな。着物が破れる」
「払え、払え、払え! 払いたまえ、清めたまえ」
「どけ、ちゅうたらどかんかい」
「あ、痛っ! こども相手になにするんや」
「おまえが放さんからやろ。ほな、さいならー」
「こらあ、待てえ!」
 丁稚は走り、借りた側も走り、町中があわただしい雰囲気に包まれる。
 しかし、そんな喧騒(けんそう)とは無縁の連中も少しばかり存在した。浪人網乾左母二郎(あぼしさもじろう)もそのひとりである。夏が来ようが冬が来ようが年がら年中黒羽二重(くろはぶたえ)の単衣(ひとえ)ものの着流しに、漆の剥げた刀を一本、閂差(かんぬきざ)しにした左母二郎は、大あくびをしながら隠れ家に戻るところだった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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