よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 そう言うと鬼右衛門に近づいていった。それが怒濤(どとう)の寄り身に見えた鬼右衛門は十手を左右に振りながら、
「く、来るな。あっちへ行け」
「教えてくれ、教えてくれ!」
 男は鬼右衛門のうえにのしかかり、ふたりは抱き合うようにして倒れた。大男と鬼右衛門、ふたりの悲鳴が絡み合うようにして大坂の町に響き渡った。

 世直し大明神はむっつりした顔で卯左衛門(うざえもん)の報(しら)せを聞いていた。
「つまり……やつらはわざと負けることを拒んだのだな」
「へえ、馬鹿な連中で……」
 大明神は飲んでいた盃(さかずき)を叩(たた)きつけると、
「馬鹿はおまえだ! かならず『うん』と言う、と請け合ったではないか。おまえの言葉を信用して、あのあとわしはすぐに、鮫ケ海(さめがうみ)に賭けていた金をすべて鮒ケ池(ふながいけ)に賭けなおし、さらに増額してしもうたのだ。どうしてくれる!」
「中山(なかやま)さま、まだ、鮒ケ池が負けるとは決まっておりませぬ。もしかしたら勝つかも……」
「どういう具合に勝つというのだ」
「鎧竜(よろいりゅう)が土俵のうえで足をすべらせるかもしれまへんし、まえの晩に食べたもんに当たって腹下しをするかもしれまへん。風邪(かぜ)をひいてえらい熱を出すかもしれまへんし、来る途中で野良犬に嚙(か)まれるかも……」
「もう、よい!」
 大明神は立ち上がった。
「中山さま、どちらへ……? 世直しだすか?」
「鎧竜を……斬る」
「へ……?」
「殺してしまえばいちばんあと腐れがないが、せめて大怪我(おおけが)をさせることができれば、鮒ケ池でも勝てるだろう」
「大怪我はあきまへんわ。鎧竜が出場せんことになったらどうしますのや。瓦版を撒(ま)いて鎧竜の人気を高めて賭け金を集められるだけ集めといて……それを鮫ケ海がやっつけるさかい儲(もう)かりますのや。鎧竜が出んかったらなんにもなりまへん」
「ならば、利き腕か脚に怪我をさせるだけにすればよいのだな」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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