よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「そういえば、文亀堂(ぶんきどう)も『うちの息子は少々怪我したぐらいなら這(ほ)うてでも出る。大坂中の皆さんの後押しを裏切るようなことはせん』と言うとりましたな。ただし、バレんようにやらんと、殿さまが町奉行所に召し捕られてしまいまっせ」
「ははは……わしが町奉行所に召し捕られることはない」
「そらそうですわな」
 そう言って卯左衛門はにやりと笑った。

 ずどん、ずどん、ずどん、ずどん……という大砲を撃つような轟音(ごうおん)が響き渡る。そのたびに地面も上下する。大ない(地震)と勘違いするものもいるが、そうではない。店の近くにある原っぱで大作(だいさく)……鎧竜が四股(しこ)を踏んでいるのだ。以前の店では、敷地内に立派な土俵をこしらえてもらっていたのだが、今の小さな店にかわってからはそういう場所がなく、毎日、ここで稽古をしている。今度加わることになっている何奴(なにやつ)部屋は、店からかなり遠いのである。
「どすこーい! どすこーい!」
 四股はすべての基本である。下半身を鍛えまくることでさまざまな技も破壊力を増す。小手先では勝てぬ世界なのである。寒風が吹きすさぶなか、まわしひとつという姿での四股だが、鎧竜の全身からは汗が滝のように流れ落ちている。
「どすこーい! どすこーい!」
 四股を踏み終えた鎧竜は、今度は鉄砲をはじめた。鉄砲柱代わりのクヌギの巨木に向かって腰を落とし、突っ張りを繰り返すのだ。手のひらが幹にぶち当たるたびにクヌギの木は梢(こずえ)までゆらぎ、悲鳴を上げる。
 そんな鎧竜のうしろからそっと近づく三つの影があった。三人とも覆面で顔を隠し、音を立てぬよう雪駄(せった)の裏に綿を貼り、刀の鞘(さや)にも布を巻いている。
「よいか。やつは油断をしている。わしがまず背中に斬りかかる。外すことはまずあるまいと思うが、万一、左右いずれかにかわされたら、おまえたちが仕留めよ。わかったな」
「ははっ」
 三人はそろそろと抜刀した。鎧竜は一心に鉄砲を続けている。
「やるぞ……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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