よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 大明神がそう言った瞬間、クヌギの巨木が凄(すさ)まじい音を立てて折れた。鎧竜の突っ張りに耐えられなくなったのだ。これには三人の侍も立ちすくんだが、中央の侍……世直し大明神が、
「枯れ木がたまたま折れただけだ。気にするな!」
 左右にそう声をかけると、
「死ねい!」
 大明神が大上段に振りかざした刀を思い切り斬り下げた。その刃(やいば)が背中の皮を切り裂いた……かと見えた瞬間鎧竜はいきなり前屈した。刀はぎりぎり届かず、大明神はよろけてその場に尻餅を搗(つ)いた。付き人たちは顔を見合わせた。左右いずれかにかわされたときのことは指図されていたが、前屈して避けるとは思っていなかったからだ。鎧竜はすばやく振り返り、
「だれじゃ、稽古の邪魔するやつは」
「なにをしておる! 斬れ、斬れっ」
 大明神の叫びに気を取り直し、供侍たちは鎧竜に向かっていった。
「なんじゃ、たった三人か」
 鼻で笑った鎧竜は折れたクヌギの巨木を摑(つか)むと、それを両手で抱えるようにして振り回しはじめた。ぶんぶん、という音とともに、空気が焼けるような臭いがした。供侍ふたりはおののいて後ろに下がった。大明神は地面に座ったまま、
「われらは刀を持っておる。ひるむな!」
 飛車(ひしゃ)さんが、
「きえええっ!」
 掛け声は勇ましいが、へっぴり腰で鎧竜に斬りかかっていった。しかし、風車のように回転する巨木に側頭を強打され、白目を剥(む)いて倒れた。鎧竜はクヌギを捨てると腰を落とし、
「さあ、一丁来い!」
 歩兵(へこ)さんはそれを見て、
「だから、相撲取りは相手にしたくなかったんだ!」
 と泣き声を上げたが、ようやく立ち上がった大明神が、
「早(はよ)う斬れ! 当家をクビになりたいのか!」
「ええい、もうどうにでもなれ!」
 歩兵さんは刀を槍(やり)のように構えて鎧竜に突っ込んだ。鎧竜が身体を開いて歩兵さんを呼び込み、腕を叩くと、歩兵さんは刀を落とした。刀は地面を転がり、近くにあったドブのなかに落ちてしまった。
「あああ……先祖伝来の武士の魂が……」
「なーにが武士の魂じゃ。刀がなければなにもできぬのか。相撲取りはいつも素手じゃ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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