よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 鎧竜はそう言うと、歩兵さんの帯を摑んで手前に引き、斜めに放り投げた。歩兵さんは吹っ飛び、そこにあった松の木の幹に衝突して、これまた白目を剥いて失神した。
「最後はおまえさんじゃな。――どこのどなたか、名前をきいておこうか」
 大明神は震えながら、
「な、な、名乗るほどのものではない」
「なにゆえわしを殺そうとしなすった」
「殺そうとはしておらぬ。評判を聞いて、どれほど強いか試したかっただけだ。ほれ、このとおり……」
 大明神は刀を放り出し、両手を突いて、
「悪かった。許してくれい」
「謝るのなら、今度だけは許してやろうかい」
 鎧竜がそう言ったとき、大明神は脇差(わきざし)を抜いて、
「だあっ!」
 鎧竜に飛びかかった。下から喉を狙ったようだが、鎧竜は動じることなく、右手で大明神の胸を突いた。
「ぐへっ」
 大明神の身体はとんぼを切ったように裏向きに一回転し、またまた白目を剥いて地面に倒れた。
「ようも白目を剥きたがるひとたちじゃ。さてさて、今日は稽古にならぬな」
 鎧竜は両手を叩き合わせて土をはたくと、悠然と原っぱから去った。

 左母二郎(さもじろう)は順慶町(じゅんけいまち)の藤沢(ふじさわ)部屋という相撲部屋を訪れていた。そこには萩(はぎ)の力士たちが間借りしていて、今度の相撲興行に向けて稽古を重ねていた。左母二郎は稽古場の外からしばらく様子を見ていたが、どの力士も今ひとつ気合いが入っていないように思われた。左母二郎がなかに入っていくと、皆はぎょっとしたようだった。いきなり黒羽二重(くろはぶたえ)の浪人ものが現れたのだから無理もないが、左母二郎は全員をにらみすえてから、
「鮫ケ海って野郎はいるか? 隠すとためにならねえぜ」
 ひとりの力士が不機嫌そうに、
「鮫関は亡くなられた」
「なに……?」
「死んだ、と言うたのじゃ。鮫関になんの用かは知らぬが、死んだものと対面(たいめ)はできぬ。帰ってくだされ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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