よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 大明神はしばらく沈思黙考していたが、やがて顔を上げ、
「よいことを思いついたぞ。おそらくは鎧竜にも勝てるであろう相撲の巧者を知っておるのだ」
 大明神は、世直しをしているときに出会った犬田(いぬた)小文吾と称する侍のことを卯左衛門に語った。
「そんな強いやつがおりますのか」
「うむ……相撲の技でわが供侍ふたりを軽々吹き飛ばした。しかも、四股を踏めばあたりが揺れ、大きな岩を頭のうえまで持ち上げる怪力の持ち主でもある。あの男ならば鎧竜ももののかずではあるまい」
「そんな強いお方だすか。けど、賭け相撲に出場することを承知してくれますやろか」
「うむ……相撲取りではなく侍ゆえ、慎重にことを運ばねばならぬが、わしはその男に、賭け相撲に出て鎧竜を負かしてくれ、とだけ頼むつもりはない」
「とおっしゃいますと……?」
「此度(こたび)の相撲は、鮫ケ海と鎧竜との対決に人気が集まっておるのだから、急にどこの馬の骨ともわからぬ男が現れてもだれも賭けまい。客の人数も減るかもしれぬ」
「それは困ります」
「わしも困る。だから、な……」
 大明神はなにごとかを卯左衛門に告げた。卯左衛門はあっという顔をして、
「そんなことができますやろか。もし、バレたら……」
「その気遣いはない。大坂のものは萩の相撲取りの顔など知らぬゆえ、な」
「そらまあそうだすけど……なんと大胆な」
「まあ、わしに任せておけ。あの犬田という男がなにものかは知らぬが、なんとかなるだろう。天下国家のためだ」
 世直し大明神は胸を叩いた。

 犬田小文吾は、長屋のいちばん奥の一室、通称「犬小屋」で朝飯を食べていた。左母二郎には「すぐ行く」ようなことを言った小文吾だが、炊き上げた熱々の飯を見ていると、全部平らげてからでないと飯に申し訳ないような気になってしまったのだ。
「腹が減っては戦(いくさ)は負けじゃ。勝負に勝つにはとにかく食うべし、食うべし、食うべし」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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