よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 相変わらずの大食である。一升炊いた飯はすでに残りわずかになっていた。菜(さい)は大根の漬けものと味噌汁(みそしる)のみ。横で八房(やつふさ)が、味噌汁をかけた飯に鰹節(かつおぶし)を散らしたものをぱくぱくと食べている。小文吾は八房の頭を撫(な)でると、
「おまえの飼い主はどこにおるんじゃろなあ。あの力士が口にした『おふせ』やら『たま』というのが伏姫(ふせひめ)さまにつながる手がかりであればよいのだが……」
 そのとき、
「こちらに犬田小文吾殿がおいでか」
 という声が外から聞こえた。
「犬田小文吾はわっしじゃ。どなたじゃな」
「昨日、お目にかかったものだ」
「昨日……? はて、覚えがないが、お名前はなんと申される」
「世直し大明神……」
「ああ、思い出した。なんじゃ、仕返しにきたのか」
「とんでもない! 入ってもよいか」
「おう、ずっと奥へ……と言うてもこの狭さじゃがのう」
 入ってきたのは覆面をした三人の侍で、先頭が世直し大明神であった。世直し大明神は、老朽化してぼろぼろの狭い長屋のなかを薄気味悪そうに見渡していたが、
「座ってもよいか」
「座布団もなにもないぞ」
 畳もなく、板敷きのうえにカビの生えた薄縁(うすべり)が敷いてある。大明神はそのうえにそっと座った。飛車さんと歩兵さんは土間に立ったままである。
「なんの用じゃ。わしは忙しい。今から出かけねばならぬのじゃ」
「手間は取らせぬ。大事の用件だ」
「ならば、飯を食い終わるまで待っておれ」
 小文吾は飯櫃(めしびつ)に残っていた飯に直(じか)に茶をかけると、飯櫃を持ち上げ、がさがさと搔(か)き込んだ。その様子はまるで鯨のようで、大明神たちはあっけにとられて見つめていた。飯を食い終わると、
「さて……話というのを聞こうか」
「じつは犬田殿にたってのお願いがある」
「ほう……」
「昨日の様子では、犬田殿はたいそう相撲が強いと思われるが……」
「まあ、生まれてこのかた、相撲でひとに負けたことはないのう」
「そこを見込んでの頼みだ。じつは今度の大晦日(おおみそか)に大坂で相撲興行がある」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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