よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「いやいや、お手をお上げなされ。おまえさまの言うたことはわっしの考えと同じじゃ。わっしも曲がったことは大嫌い。暴力をふるって弱いものいじめをするようなやつは許さぬ。よし……この犬田小文吾、おまえさまの世直しの思いに力を貸したい。鮫ケ海の身代わり、たしかに引き受けた!」
 小文吾は胸を叩いた。あの相撲取りが鮫ケ海ならその後輩たちに会えば、「おふせ」「たま」のこともわかるだろう、という気持ちもあったが、ほとんどは純粋な義憤から引き受けたのである。
「おおっ、引き受けてもらえるか! これで勝ちはもらった」
「勝てるかどうかは、やってみねばわからぬ。とにかく正々堂々とぶつかって、勝っても負けても大坂の皆に恥ずかしゅうない相撲を取ることを約束しよう」
「いや、勝ってもらわねば困る。負けてはなにもならぬ」
「全力は尽くすが、勝負は時の運じゃ。それでいかんならこの話は断るほかない」
「あ、いや……断られては困る。だが、かならず勝つ、ぐらいの気持ちでやってくれ、ということだ」
「それはもちろんじゃ。負けようと思うて相撲を取る馬鹿はおらぬ」
「とにかく鎧竜というのは没義道(もぎどう)な、この世にいると大勢がこれからも迷惑することになる男。土俵のうえならば殺しても罪にはならぬのだぞ」
「はっはっはっ、冗談もほどほどにせい」
「冗談ではない。叩き殺してくれてかまわぬゆえ、存分にやってくれ」
 小文吾は座り直し、
「しかし、おまえさまはいったいどこのどなたじゃな。世直し大明神などと名乗っておいでじゃが、今度の相撲にどういう関わりがあるのかのう」
「さっきも申したが、わしは世の中の不正を見逃すことができぬ男。だが、それだけではない。わしはかねてから万書堂の主と懇意にしておるのだが、その息子が草相撲で鎧竜に殺されたのだ」
「なに……?」
「その男はある娘と恋仲になったが、その娘に横恋慕した鎧竜は、邪魔な男に相撲の勝負を挑み、地面に叩きつけたうえ、その背中に飛び乗って何度も脚で背骨を踏みつけた。男はとうとう息が絶えてしまった。鎧竜は文亀堂という書肆の息子ゆえ、万書堂はいわば商売敵(がたき)。それでよけいに憎しみがかかったものだろう。わしは万書堂の息子の仇を討ってやりたいのだ」
 小文吾は涙をこぼし、
「そうじゃったか。可哀(かわい)そうにのう……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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