よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「うーん……あたしゃねえ、もう手遅れさね。悪いことってのは面白くてわくわくするし、おんなじような仲間もできたりしてさ、孤独を忘れるから、ついつい深みにはまっちまうのさ。あたしゃ今さら抜けられない。でも、あんたは違う。まだぎりぎりなんとかなるよ。あたしもあのとき、もし……」
 船虫はなにかを思い出したような顔つきになったが、
「とにかく実乃ちゃん、あんたを助けてやりたいのさ。おせっかいだとかお説教だとか思うかもしれないけど……」
 ふたりが着いたのは馬加大記(まくわりたいき)のところだった。馬加大記は酒を飲んでいたが、
「なんだ、船虫ちゃんのほうからご来宅とは、どういう風の吹き回しかのう。まあ、上がって一杯いけ」
「それどころじゃないのさ。この子を診てやっとくれ」
 船虫はそう言って実乃をまえに出した。馬加大記は眉根を寄せ、
「な、なんじゃ、腕に手裏剣が刺さっておるではないか。こんなこどもに……ひどいことをするやつがおるのう」
「治るかい?」
「ああ、わしに任しておけ」
 馬加大記は血止めを施したうえで手裏剣を抜き、薬を塗ると、傷口を布で覆った。
「筋は切れておらぬゆえ心配いらぬ。膿(う)まぬように化膿(かのう)止めを出しておくゆえ、朝と晩に塗るようにな。ただし、しばらくは腕をあまり動かさぬことだ。熱が一時的に出るかもしれぬが、そのときは水をたくさん飲みなさい」
「はい……」
 実乃は素直に応えた。
「船虫、おまえの連れてくる患者はこんな連中ばかりだな。どうせこの子も金はないのだろう。そのかわりにおまえが酒の相手をしろ」
「ふん、あたしゃ忙しいんだ。真っ平ごめんだよ」
「嘘をつけ。どうせ左母二郎のところでスルメをアテにごろごろしとるんだろう。わしも交ぜてくれ」
 そのとき実乃が、
「先生、うち、お金持ってるさかい薬礼払うで」
 そう言って財布を取り出した。
「なんだと? なんでおまえがそんなものを持っておる」
「お菓子屋に入ろうとしとったおっさんから掏(す)ったんや。なんぼか入ってるやろ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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