よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 実乃は財布をひっくり返した。豆板銀を紙に包んだものや銭緡(ぜにさし)がばらばらと落ちた。船虫も馬加大記も、
「こどもが金を盗むなんて……」
 とは言わない。これはこういうものなのだ。たとえこどもであっても、いや、こどもなればこそおためごかしやきれいごとでは渡っていけない世の中なのだ。
「けっこうな大金が入っとるのう。菓子を買うには多すぎる所持金だ」
 実乃はなおも財布のなかを引っ搔きまわしていたが、
「あれ? これ、なんや……?」
 実乃は一枚の紙をつまみ出した。
「うち、字ぃ読まれへん。読んで」
 馬加大記はそれを受け取り、
「なになに? 大坂町奉行所において毒薬研究のために薬種を購入するものなり。本状携えたる書肆心斎橋万書堂主卯左衛門に薬を販売すべし。大坂町奉行中山出雲守時春(いずものかみときはる)、か。町奉行の押印もある。本物のようだな」
 船虫が、
「今のお奉行さまって、中山なんて名前だっけ?」
「さあ……町奉行はころころ代わるゆえ、わしはいちいち覚えとらん」
「でも、町奉行がどうして薬の小売りを許可したんだろう? それも本屋のおっさんに……」
「さあ……わしは医者だが、道修町のまともな薬種問屋は仲買以外には薬種を売らぬ。脇店ですら、仲買いからしか薬を買えぬのが決まりだ。本屋の主になど売るはずがない。こうなるとどのような薬を買ったのか知りたいものだな」
 実乃が、
「先生……その薬、うち持ってる」
「なに?」
「さっきのおっさんが道にばら撒いたさかい、なんやろ、と思て一個だけ、しゅっと拾たんや」
 そう言って薬包を馬加大記に渡した。
「ふふふふ、お手柄、お手柄」
 馬加大記は紙を開き、なかの粉末を指につけてぺろりとなめた。途端に激しく噎(む)せ、酒を口に含んでから吐き出した。
「これは……いかん」
 船虫が、
「なんなんだい?」
「こいつは、しびれ毒だ。飲んだら身体が動かぬようになる怖い薬だ」
「どうしてそんなもの売り買いするんだろうね。危なっかしいじゃないか」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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