よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「毒も少量使えば薬になる。薬も飲み方を誤ると毒になる。この薬も、痛みがこらえられぬ病人が服用すれば痛み止めとしての効能があるのだ。だが、そのものが大量に持っていたというのは解せぬな」
「悪だくみの臭いがぷんぷんするねえ。――お実乃ちゃん、どうしたんだい?」
 実乃は目に涙を浮かべ、震えている。
「うち……もう、嫌や。ひとのもん掏ったりするの、怖なってきた……」
 馬加大記が、
「無理もない。こんなこどもの身で手裏剣を投げつけられ、侍に刀で斬られかけたのだからな。あとあとまで心の傷として残るだろうて」
 実乃は鼻水を垂らしながらぐすんぐすん泣いている。気丈にふるまっていたのが緊張が緩んだので、止まらなくなったのだろう。船虫が、
「さっきの連中、まだお実乃ちゃんを探してるだろうねえ。どうしよう」
「金はともかく、しびれ薬とこの書き付けは取り戻したいだろうからな。本屋の主が用心棒を連れ歩くというのも、その用心棒が掏られた財布を取り戻すためとはいえ、白昼に手裏剣を投げたり、刀を抜いたりするというのもただごととは思えぬ。――よし、お実乃、ほとぼりが冷めるまで当分わしのところにおれ」
「え? ええの?」
「ああ、わしは極道医者で患者が来ぬときは日がな一日酒を飲んでごろごろしておるが、それでもよければな」
 実乃は真剣な顔で座り直し、
「おっちゃん、おおきに。うち、なんでもして働くさかい、よろしゅうお願いします」
 そう言って頭を下げた。船虫が笑って、
「働くったって、ここのうちにはめったに患者なんて来ないよ。安心おし」
「まあ、そのとおりだな。たまーに間違って入ってくるやつがいるが、この様子を見てあわてて出ていくわい。船虫、いっぱいいくか」
「そうだねえ、お実乃ちゃんを診てもらった恩があるからしかたない。お酌させてもらうよ」
 そんなやりとりを聞きながら、実乃は心底ほっとしたような顔つきになった。
「ところで、船虫、あの空から落ちてきた相撲取りはどうなった?」
「知らないよ。あんな屋根のない家じゃ落ち着かないから、あれから行ってない」
「今度、酒魂神社というところで賭け相撲があるらしい。わしもいくらか賭けようと思うてな。あの男、それに出る力士ではないかのう」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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