よみもの・連載

元禄八犬伝 さもしい浪人が行く

第七話「空から落ちてきた相撲取り」4

田中啓文Hirofumi Tanaka

     四

「では、おまえさまが鮫関(さめぜき)の身代わりをしてくださると……」
 鮒ケ池(ふながいけ)が言った。小文吾(こぶんご)は、
「そうじゃ。鮫ケ海(さめがうみ)は生きておるが屋根に落ちて大怪我(おおけが)を負い、姿をくらましてしもうたのじゃ。はるか高みから落ちたゆえ、命があったのが僥倖(ぎょうこう)じゃ」
「おい、話の腰を折ってすまぬが、『落ちる』というのは『番付が落ちる』につながるゆえ験(げん)が悪い。わしら萩(はぎ)の相撲取りのあいだでは忌み言葉じゃ」
「では、なんと言えばよい」
「下に向けて上がる、と言うのじゃ」
「鮫ケ海は、屋根に下に向けて上がったゆえ、大怪我をしておる。もし、見つかっても、相撲は取れぬ。それゆえ、わっしがその代役を務めてやろうというのじゃ。大坂のものは鮫ケ海の顔を知らぬゆえ、うまくごまかせると思う」
「いや……おまえさまは失礼ながら素人(しろうと)。鮫関の身代わりはむずかしいのではないかのう」
「わっしがその役にふさわしいかどうか、試してみられよ。――さあ、一番来い!」
 小文吾は着物を脱いでまわしひとつの姿になった。鮒ケ池は、
「よし……鰻川(うなぎかわ)、一丁揉(も)んでもらえ」
 鰻川と呼ばれたひょろ長い力士が小文吾と組んだが、手もなくひねり倒された。
「なにをしとる!」
 鮒ケ池の叱責に鰻川は頭を搔(か)き、
「ちょっと息が合わず……」
「つぎ、蛙ケ沼(かわずがぬま)、行けっ」
 蛙ケ沼という目がまん丸で大きな力士が小文吾のまわしに手をかけたが、小文吾は相手のまわしを触ろうともせず、突き出た腹をぐい、とひねった。蛙ケ沼は吹っ飛んだ。鮒ケ池が、
「情けない。萩の相撲はこんなに弱いのか、と笑われるぞ。鮫関に習(なろ)うた技を使わぬか。――つぎ、泥鰌湖(どじょううみ)!」
 ドジョウ髭(ひげ)を生やした力士は、奇襲のつもりか、いきなり激しい張り手を繰り出した。数十発の張り手にも小文吾はまったく後退せず、根が生えたようにその場に立っていた。息が上がった泥鰌湖の手が緩慢になったとき、小文吾は右手で軽く泥鰌湖の胸を叩(たた)いた。泥鰌湖は稽古場の羽目板まで飛び、泡を吹いて気絶した。その胸には小文吾の手の形が赤くついていた。
「ええい、もういい。わしが出る」
 鮒ケ池は小文吾に突進し、もろ差しにした。
「このまわしは死んでも放さぬぞ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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